いろいろ社の新たなプロジェクト「いろいろTV」。代表の青木が気になる人に、いろいろなおはなしをお聞きするオンライン番組です。
第7回目はゲストに有限会社ペーパーカンパニー代表取締役の中村修治さんをお迎えして、2人の娘さんの父親である中村さんに娘さんとのエピソードや子育てで大切にしていたこと、そして最近あったビッグイベントについて、いろいろなおはなしをお聞きしました!
目次
中村家に訪れた「娘さんをください」という一大イベント!


よろしくお願いします。もうなんかお恥ずかしいですね。プライベートの話をするとのことで、カミさんに聞かれたらどうしようかと思って、今日は自宅とは別なところから参加させていただきます(笑)


はじめまして、プランナーの中村修治です。最近1番苦手なことはコンプライアンスですが、本日はどうぞよろしくお願いします。ちなみに2番目はカミさんで、3番目が長女、そして4番目が次女です(笑)
仕事は、プランナーという仕事をずっとやっておりまして、1986年に社会人になって、今年で36年目ですね。1989年に福岡に来て、プランナーとして1994年に独立しました。ペーパーカンパニー社を設立して、今年で28年目になります。会社は辞めましたが、一応プラン営業系プランナーとして入って、プランナーとして独立したので、1回も職を変えてないというが、ちょっとした自慢です。
これはあの青木さんの前で言うのは忍びないんですけど、1度も自分を”コンサルタント”と呼んだことないっていうね。あくまでプランナーとして生きてきた男でございます。もう1社キナックスホールディングスというPR会社がありまして、こちらは16年目になります。設立当時は、福岡に独立した法人としてのPR会社がないと言われていたので、立ち上げてみたらどうかなと思ってスタートしました。今も生き残っていて、頑張っていきていますという感じですね。


今時ね、仕事の話をするなんてもうダメなんですよ!過去の栄光に縛られていきるようなおっさんとは、付き合ってはダメだと多くの皆さんが思っていると思いますよ。おじさんの自慢ばなしほど役に立たないものはありませんからね(笑)


一大イベントですね…忘れもしない4月23日ですよ。


そうですね、旦那候補を東京から連れて帰ってきまして…。


その日は食事をしましょうということで、18時にお店で待ち合わせをしていたんですよ。こちらも時間よりも早く行ってたんですけど、そしたらちゃんと2人でお店の前に立って待っていてくれて。偉いなと思ったのが、彼がちゃんとスーツ着てたんですよね。土曜日の夕方に東京から来てるので、私服で来ているのかなと思ったら、ちゃんとネクタイをしてスーツも着て、革靴も履いて、いきなりちゃんと挨拶してきたんですよ。
私自身が広告業界などという野蛮なところにいるので、 「なんかちゃんとしたやつだな」という印象で、いきなりやられたなっていう感じでしたね。僕はいつものチャラチャラした感じの格好で行ったので、先に頭を取られた感じですよね。


ちゃんと長袖に長いズボンでした。短パンはさすがにちょっと、あとで長女に怒られると思ってやめておきました(笑)


うちの長女も次女もそうなんですけど、カミさんからはなしを聞く限り中学校3年生くらいから、ずっと彼氏がいるパターンの娘だったんですよ。だから僕は「お父さんは彼氏には会わないからね、紹介なんかしてくれるなよ」って言ってたんですよ。


そうそう!「結婚するとちゃんと決めた相手にしかお父さんは会わないからね」って。お付き合いをしているだけの彼氏なんて、結婚するかしないかわからないし、自分の義理の息子になるかならないかもわからない。普通のあんちゃんと俺は何をしゃべればいいのか、そこで喋った時間とか、そこでもし飯おったとしても、娘たちが別れたら、そこのなんか価値なんてゼロじゃないですか。
「俺は何のために喋ったのかな!?」っていう話になると思うんですよ。だから娘たちには、「彼氏には絶対会わないからね」って伝えていたんですよ。でも今回は 長女からお正月に前置きがあったんですよ。「もしかしたら、ちょっと春ぐらいに連れてくるかもしれない」みたいな打診がありまして。


それでカミさんと「あ、そろそろなんだね」ってはなしをしていて、4月23日ですよ!


覚悟はしていました。長女もそのつもりがないと、私たちに紹介するつもりはないと思うので、「ああ、そういうことなんだな」って。

相手の好きなところを3つ答えろ!という父のむちゃぶりに娘は…


いいやつだなって思っちゃった(笑) 体もでかくてね。身長が180cm近くあって、体重も90kg以上あって、私よりも大柄でしたね。


それがもうどちらかというとお堅い仕事ですよ。信じられないですよ、僕とは真反対!逆張りされたなって思いましたね(笑)
食事会も盛り上がってきたので、娘に何で彼を選んだのか、彼のいいところ「上位3つを答えろ」って言ったんですよね。


そうそう!それでまず最初に、「嘘がつけないところ」って言ったんですよ。2番目に「私に優しいところ」、3番目に「食の趣味が合うところ」と言っていたんですが、ペーパーカンパニーの戦略プランナーの娘が、「嘘がつけない」っていうところを1位に選ぶのか、と思って。
僕が東京に行ったら、娘を誘って食事に行くんですけど、必ず長女が私に「お父さん嘘ばっかりついているでしょ!お母さんに嘘ばっかりついているでしょ!」ってカマかけてくるんですよ(笑) そういう会話をしょっちゅうしていたので、それがフリだったんだなというか、なるほどなって。


必要な小さな嘘は山程ついています(笑) 真実は劇薬、嘘は常備薬なのでね。幸せな暮らしのためには必要ですから(笑) 今日だって、オンラインで打ち合わせがあるからとカミさんに言ってますからね。娘をネタにオンラインで話をするなんて、カミさんには言ってません。これをカミさんと長女が見たら、確実に怒られますから、良きに編集してくださいね。


中盤ですね 序盤は「どうもこんにちは」っていうところから、「どんな仕事をされてるんですか?」みたいな感じでしたよ。中盤ぐらいになって、向こうが ちゃんと挨拶してきたんですよね。最初の20〜30分はお互いに探りを入れる感じだったけど、仕切り直して、「ということで、結婚を前提に付き合いさせてもらってます」という、定番のセリフを語って、「今年中にちゃんと結婚の日取りを決めたいと思っていて、夏ぐらいから一緒に住みたいので、その許しを得たい」としっかりと喋るわけですよ。
それに対して、「こちらは別に反対する理由もないし、娘をどうぞよろしくね」みたいな話になったところから、「どこが良かったの?」みたいな話になったっていうね。話している感じもとても真面目そうで、「この子なら嘘つかなさそうだから、信用してもいいね」みたいなトークをしてくれるんですよ。だから突っ込むことなんてないんですよ。


いい方だったし、本当に非の打ちどころのない方でしたね。


しましたよ(笑) 「女の子にモテるの?」って聞いてみたら、「今までモテたことないです」って。なんでそんなはなしをしたかというと、私がその昔モテたんだよねって話をして、昔の23歳頃のアイドル顔でイケメンだった頃の写真とか見せて、昭和の自慢ばなしをしたんですよ。そしたら、「お父さんすごいですね!」って言われました。お恥ずかしながらしょうもないモテマウントをとってしまいました(笑)


いいんじゃない、いいんじゃないみたいな、カミさんも良い人だと思ったんしょうね。「焼酎が飲めるとなおいいね」と言っていました(笑) でもなんかすごく幸せなはなしでしょう?


そうでしょう?だからあんまり2人の今後の役には立たないかもしれない(笑)ただの幸せなはなしをしているだけになっちゃった。


新居探すんだったら、決まったら教えてねっていうのと、一応年内で、ちゃんと結論出すなり、なんなりしようぜ、また連絡ちょうだいねって。金銭的にも2人ともしっかり自立しているから、親が文句言うことなんて何もないんですよ。
2人の娘との距離感とコミュニケーションの取り方


それはまだですね。


その食事会の後、GW明けに長女と横浜で会ったのかな。そのときに彼氏は私のことなんて言ってた?って聞いたんですよ。そしたら、「面白いお父さんでよかったって言ってたよ」って。


無理だと思うな…一緒にお風呂とかも絶対入れないよね。もう絶対無理だな。2人きりになったら何喋ればいいのかわかんないね。食事会の後、お店出てカミさんに言われたのが、「あなたすごく緊張してたね!」って言われました。


そんなつもりはなかったんですけどね。ドーンと構えておけばいいのに俺の方がペラペラ喋ってたから、それが珍しかったのかもしれないです。還暦の男なんだし、娘の父親なんだし、ドーンとしてればよかったのに、それができなくてダメだなと思いました。


長女の性格なのかもしれないんだけど、昔からあまり込み入ったことはなさないんですよ。ポイントポイントで、就職する時の就職活動もそうだったんだけど、「候補を2社まで絞ったんだけど、お父さんはどっちがいいと思う?」って聞いてくるんですよ。問題がある程度明確になってからじゃないと聞いてこないんです。
オンタイムで悩みを一切言わないんですよね。早めに自立していった感じはしますね。大きくなってからは親の前で泣いてるところもみたことないですね。強いんですよ。1度今までで1番苦しかったことって何か聞いてみたことがあるですよ。そしたら「高校の時に部活で辛いことがあって、あのときは落ち込んだな」って、社会人になってから教えてくれました。


そうですね、東京出張があれば食事に誘いますし、誕生日や父の日にプレゼントを贈ってくれたりもしますよ。決して嫌われてはないと思うんだけど、もやもやしていることについて、漠然とした相談を受けるというようなことは昔からなかったですね。


広告代理店と人材系のコンサルティング会社だったんだけど、自分が広告業界にいるので絶対に人材コンサルティング会社を進めますよね。将来的に見てもコンサルティングの業界の方がいいと思うよというはなしをしました。その後、コンサルティング業界に進んだんですが、「こっちにしてよかった」と幸せそうに働いているので、よかったなと思っています。


そうですね。長女は私立の中学校に通わせていたんですが、携帯を学校に持って行ってはいけない規則の学校だったんですね。持って行って見つかると没収されてしまうんですけど、1回見つかったことがあって。書面に親がサインしてそれを提出しないと返してもらえないことがあったんですけど、そのときに私がリビングで仕事していたら、夜中に「お父さん、ここにサインしてくれない?」って持ってきたので、こっそりサインしたということがありましたね。
カミさんにバレないようにこっそり問題を処理するときに利用されるというか、お互いに秘密を握っている感じがあるんですよ。お互いに2人切りの秘密があるって、とても大事なことだなって思いました。


次女は大学3年生なんですけど、「PCを買いたい時にお金がない」ってLINEしてきたときに、PC代を振り込んであげたりしましたね。


長女はずっと反抗期でしたね。親の前で涙も見せないし、ごめんって言わない感じで。


小学校高学年から中学生くらいまでカミさんとめちゃくちゃケンカしていましたよ。私はそれをしょうがないなという感じで見守ってましたけど。


2人ではもう収拾がつかなくなってきたら、これはもう私が引き取るしかないかなと間に入りますね。これ以上エスカレートさせてはいけないから、カミさんの代わりに私が長女を一応叱ることもありましたし、まあまあって言って、ちょっとごはんでも食べに行こうぜってパターンもありましたね。


私の場合は、2人よりも上を行く勢いで怒る(笑)「お父さんが怒ったらまずい!」みたいな状態を作ってましたね。日頃はニコニコしているのに、たまにすごく怒るお父さんみたいなのをうまく演じてましたね。


その場が収まればいいんですよ(笑)

それぞれが自立して、家族みんながほどよい距離感で関わりあう


ありましたよ。長女が小学校高学年くらいの頃に、1回だけ真剣にケンカしましたね(笑)そしたら娘に「お父さんわけわからない!」って言われて、ああそうかって、すって冷静になりました。なんで自分が怒っているかというと、娘に言うこと聞かせたいと思って怒ってるんだ、これは私自身のわがままで怒ってるんだなって気がついて。長女のために怒っているんじゃないなと気がついてからは、そのあと1度も怒鳴ったり、怒ったりしていないですね。
怒るってコミュニケーションとしてはいい手段じゃないんだと思うんですよ。特に感情的になってしまうとなおさらよくない。きちんと出口を用意して、許すことを前提に叱るとか理論立てて説明することが大事ですよね。


次女はね、長女がカミさんとやりあっているのをずっと見ているので、怒られないようにうまいこと生きているんですよね。次女は本当に怒ったことないですね。カミさんが注意はするけど、感情的に怒っているところもみたことないですね。


不思議な関係なんですよね。仲はいいんだけど、ベタベタしているわけでもなくて。同じ横浜エリアに住んでいるんだけど、そんなにしょっちゅう会っているわけでもないみたいだしね。


ないですね。お互いに独立して生活していますよ。


そうですね。冷たいと言えば、冷たい感じなのかもしれないですね。ベタベタしているという感じはないですし、食卓を囲んだ時に世間ばなしで盛り上がることもほとんどないですね。TV見ながらみんなでキャッキャ笑うことも滅多にないし。


空気が悪い感じではなく、黙っていても大丈夫な感じですね。「おはよう」とか「いただきます」とか基本的な挨拶はしますし、相談があればはなしは聞きますよ。でも何をしゃべったらいいのかなという微妙な空気が流れているときに、誰かが切り込むかというと特に誰も切り込まないですね。その空気に耐えかねて、僕が変なことを言い出すというのがいつもの感じかな。


コミュ障と言ったらうちもそうかもしれないですね。娘たちも外ではきちんとコミュニケーションとって、部活もバイトもやっていたみたいですけどね。


それはないですね。「お父さんくさい!」はありますけど(笑)


平日ほとんど家にいなかったので、土日どちらかは休みを取って、家族4人でドライブによく行っていましたね。そのとき聞いていたCDがスピッツだったりするわけですよ。だから娘たちはいまだにスピッツを結構歌えたりするんですよね。


そうみたいですね。後ろの座席でずっと2人で歌ってましたからね。緑に車に乗って、『青い車』を口ずさんだりしてね(笑)
2人の娘の父である中村さんが、父親として大切にしていること


いい関係性というと難しいけど、親がいつ死んでもその子たちがきちんと生きていけるように育てるということが大事だと思うんですね。もしお父さん、お母さんが死んでしまっても、誰かを頼って生きていたり、自分で生きたいと思えるように、親離れ子離れをしておくことは早ければ早いほどいいと自分の中では思っています。だからなるべく自立させておく。
ベタベタする気はそもそもないし、自分自身も親とベタベタしたいなんて思ったことなかった。それよりもほったらかして欲しいとずっと思っていたくらいですから(笑) カミさんは母親としてお弁当を作ったり、塾に行かせたりとかしていたけど、父親として娘にできることはほとんどないんじゃないかなと思っています。娘たちに「お父さん楽しそうに働いているね」って思ってもらえるように働くだけですよね。自由でいいなと思わせるように仕事していましたね。


長女が生まれたのが1995年なんですけど、独立したのが1994年なんですよ。独立した途端に長女の妊娠がわかったので、働くしかなかった。ぶっちゃけたはなしをすると、独立して1年目ってそれなりに売上はあったけど、乱高下するし、翌年の税金のことなんかもあってお金がないわけですよ。貯金もできてないけど、長女の出産費用の現金がありませんでした。カードローンで仕方なく、30万くらい借りて払った記憶がありますね。長女が生まれてきてくれたおかげでしゃにむに働く環境ができましたね。家族を養っていくために、子どもたちはカミさんに任せて死ぬ気で働いているからほったらかしにせざるを得ないというのが実情ですよね。
父と娘の関係性を小さい頃から築くという考えもなしに、必死に働いていましたね。だから微妙な距離感ができたのかもしれないですね。週末とかは一緒に寝たりしましたけど、平日はほとんどそんなこともなかったですね。平日から週末までベタベタかわいい〜〜みたいな時間は一切なかったですね。それが逆によかったのかもしれないですけどね。父親にそんなに期待もしていないと思います。


そうそう。教育方針とかは特にないですけど、家の中で愚痴は言わないということは自分の心の中で決めてましたね。自分で選んだ道だし、自分で独立したわけだから、そういうことは一切言わないと決めて、徹夜しても家では疲れた顔を娘に見せないようにニコニコするようにしたり。


その部分はかっこつけていたかもしれないですね。愚痴を言う大人って嫌じゃないですか。独立して自分で会社を始めるということって、お金と時間の自由を得るためだと思っているんですよ。私にとって自由であるということが一番の価値だと思っていて、自由になるためには誰かに頼っていてはダメで、自立していないといけない。自分で選択したことに責任を取るだけのことなんだと思っていて。楽しそうに働いているとか自由に生きている様子が少しでも娘たちに伝わっているといいなと思いますね。言葉にはしてくれないけど、精神性が伝わっているんじゃないかなって。


自立することのインセンティブ、自由になることのインセンティブを伝えたいと思っていましたね。それを実現するために、ペーパーカンパニーという適当な名前をつけているし、全体的にそういう方針は持っていますね。ちゃんと説明はしたことないけど、自由ってすごくいいじゃん、自由に生きて自分で責任取ることって意味あることなんじゃない?って、社員にもそれは伝えたいなと思っています。
「中村さん自由でいいよね!」って言われることは、孤独でいることや選択したことに責任を取ることとイコールだと思うんですよね。それが楽しいんじゃん!それが価値あることじゃん!って、ずっと思っていますね。
「娘さんをください!」の最適解は、娘とそのパートナーを理解すること



「どこの馬の骨かわからんやつに、うちの敷居は跨がせんぞ!」ってやつですね。やってみたいとは思いますけど、それは娘に嫌われたら嫌だからできなかったですね(笑) でも彼に対して、問題点や突っ込みたいところが本当になかったですからね。


「役者やってます!」とか「芸人を目指してます!」というやつが来たらというパターンも考えましたよ(笑) その場合は作品を見せろとかどんなことをしているかを教えろと言おうとは思ってましたね。役者や芸人がダメだというつもりはまったくありませんでしたけどね。
役者とプランナーの何が違うんだと思っていますし。それよりもどういうことをやっているかが大事だなと思っていますから。それを踏まえて、才能があるかは見極めたいなと思いますね。金髪でも構わないです。変なやつなら私の周りに山ほどいるんでね。もし変なやつを連れてきたとしても、頭ごなしに否定はしないでおこうと思っていました。


そうですね、それはすごく大事だと思います。事前というか、それまでの過程だと思いますね。早い段階から娘に「彼氏は見たくない!結婚するかわからない中途半端なやつは連れてくれるな」と言っておくことも大事だと思うんですよね。そうすることで、相手もこちらもある程度、覚悟を決めてその場に向かうわけですから。覚悟の程、選択したことに対して、きちんと誠意を見てもらおうという気持ちで挑んでいるという過程は大事ですね。
付き合う彼氏を次から次に連れてくるような娘には育てていないというはなしですね(笑) もちろんそういう家庭もあって、仲はいいのかもしれないけど、親の役割としてそこはやっぱり違うと思うんですよね。


いいと思いますよ。自分が選んできて、最後の最後どうするかという選択肢を親に委ねて相談されるような関係性を作っておくことはいいことだと思います。



えらいなと思うのは、娘から相手に私の職業もきちんと説明してくれていたんだと思うんですね。普段いろいろなところでコラムを書いているんですけど、彼の職種に関係するところで書いているコラムを選んで見せてくれていたみたいで。それを見ているから、いい加減そうだけどちゃんとしてるんだとわかってもらえますよね。


そうやって事前情報をしっかり入れてくれていたんだなと思いましたね。


そうなんですよ、子育て終了なんですよ。時代もどんどん変わっていきますけど、普遍的なことをきちんと伝えられる大人でいたいなと思っています。だからそれを伝えるために旅に出て、山下清みたいな生活をしてみようかなと思っていますね。あとは若い人からお布施がもらえるような仕組みを作りつづけようかなって。
青木さんと僕だって17.18歳離れているわけなので、それくらい歳が離れている人たちとどうやって付き合っていくかはとても重要だなと思っています。プランナーとしての引退の仕方というか、本当に自由で妖精みたいだよねって言われたいなと思っています。


神様って責任重そうだから、妖精だとパッと逃げたりできそうだからいいなって(笑) そういうズルさも含めて妖精を目指したいと思っています。


そうでしょう?体つきとかではなくて、かっこいい大人って言われたいなと思ってますね。筋が通っているね、自由ですねって。今後どこかで不安になることもあるかもしれないんですけど、今はまだ身体が元気なので自由を謳歌したいなと思っています。


妖精になっていろんなところで文章書いたり、死んでから20年後くらいに中村さんってもしかしたらスパイだったのかもしれないねとか言われたいなあ(笑)

〜第7回目の「いろいろTV」を終えた青木の振り返り〜
さっそく、娘に「彼氏は紹介しなくていい、結婚したい人だけ連れてこい」ということを伝えてみました、、、反応については、、、察してください。笑
僕は仕事をしている中村さんしか知らなかったのですが、仕事のときの中村さんと今日話を聞いた中村さんに差を感じず、人との距離感が絶妙(≒誰にでも同じように接する)なところ、自由の価値と自由でいるための覚悟などの精神性が、「かっこいい人」だなと感じました。
「親」「子育て」「独立」など、人生の先輩の話を聞かせてもらい、10年後くらいに今の僕くらいの年齢の人と話をした時に「かっこいい大人ですね」と言われるように「いろいろ」がんばります。
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