【いろいろtv_#23】佐賀で行う地域おこしとコミュニティづくりの真髄って?

いろいろ社の「いろいろTV」はいろいろ社 社長の青木が気になる人に、いろいろなおはなしをお聞きするオンライン番組です。

第23回目は、ゲストに合同会社Light gear代表の山本卓さんをお迎えして、地域おこし協力隊の活動やコミュニティづくり、事業についての想いなど、いろいろおはなしをお聞きしました!

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目次

面白いことをやりたい!ノリで決めた佐賀移住

山本さん、よろしくお願いします。

はい。よろしくお願いします。

本日は音無てらすにおりまして、誰もいない状態で出演しています。

最初に地域おこし協力隊に応募される前まで、山本さんがどういったことをされていたかなどをお聞かせいただけますか?

いろいろやっておりまして。地域おこし協力隊になる前は役者と映像制作のお仕事、、、それから、番組制作です。

役者をやりつつ、映像制作だったので、表も裏も両方やってきていたのですが、何かおもしろいことをやりたいなぁって思っていたタイミングで、(佐賀県ではなかったのですが)たまたま地方に興味を持つ機会があり、地方っておもしろそうだなぁと。

地域おこし協力隊という仕事があることは知っていて、参加した移住イベントで佐賀県のことを知り、決めたという感じです。

役者をされてたんですよね!

そうなんですよ、昔は役者をやっていたんです!

僕、人としゃべるのがすごく苦手なタイプで、中学生の頃、このままやったら人生どうなるんだろうと思って飛び込んだのが、タレント募集だったんです(笑)そこから役者の道を進むことになりまして。

先日、音無てらすで山本さんとお話している時、表情がすごく豊かだなぁ、と感じていたのですが、謎がとけました(笑)

昔は無表情だったんです、あんまり笑顔のない人間だったんです。ただ、今は、ずっと笑ってる感じにはなっちゃいましたね(笑)

地域おこし協力隊に応募して、佐賀を選んだというのはどういった経緯だったんですか?

本当にノリです(笑)

国が地域おこしに力を入れているというニュースを見て、地域おこし協力隊に興味を持ち、調べるようになったのですが、どこに行けばいいのだろうと思ってました。ただ、なんとなく九州が良いなぁということは感じていました。南の国というか温かい地域のイメージで。

そんなことを思っていたタイミングで、九州の地域おこし協力隊の移住イベントを見つけて参加したところ、1番初めに声をかけて、熱心に説明いただいたのが佐賀県の県庁の方でした。美味しいご飯、素敵な景色などがありますよという話とともに、協力隊のミッションを説明いただいたんです。

地域の方を取材して、暮らしや仕事を記事にして、PRしていくというお仕事で、佐賀県のことはほぼ知らなかったのですが、先入観がない方がおもしろいかもと思って、すぐに「行きます!」と手をあげて、応募方法などを聞きながら、そのまま佐賀県の協力隊に応募しました。

その後は移住する前に二次面接のような形で佐賀県に行きました。その時は、「佐賀県ってここにあるんだぁ。」とか、「山を歩いてて電波が入らないぞ!」とか、いろいろな発見がありました(笑)

そういったことも含めて、おもしろそうだなぁと思えたので、佐賀県に行こうと決めました。地域の方とも交流させていただいて、なんかすごく華やかに見えたというか、おもしろそうって思えたので、ノリで決めちゃったみたいな感じです(笑)

山への移住。理想と現実

佐賀に行くことについて、家族や友人に相談されたりはしなかったんですか?

実家が大阪なんですけど、どこかに移住しようというタイミングで、そろそろ東京じゃないところに行こうかな、大阪に帰ろうかなって親に相談してみたのですが、断られました(笑)

「帰ってきたら、あんた、ダメになるかもしれない!自由にいろんなところに行きなさい!」みたいな感じでした。

友達には、九州に移住をしようと考えていると相談してみたところ、福岡?鹿児島?とか、佐賀以外の九州の県名を挙げられるのですが、佐賀だけ出てこなくって(笑)

地域おこし協力隊の任期はどれくらいなんでしょうか?

地域おこし協力隊の募集は、県の場合もあれば、市町村の場合もあり、それぞれなのですが、僕の場合は2019年9月に着任、2022年3月末まででしたので、約2年半でした。

その期間、地元の大阪や住んでいた東京などを離れることになるわけで、里帰りとか帰省みたいなことをしたりするものなんですか?

おかんの誕生日には帰ろうと思っていて、2020年8月頃には一度帰省しようかなとは思っていたのですが、新型コロナウィルスの流行もあり、2年半の活動期間の中で1回だけでした。

地域おこし協力隊に決まり、着任する際のお住まいはどうやって決めたのですか?

住まいは古民家を改装したシェアハウスでした。僕は県の協力隊だったのですが、所属はNPOでした。そのNPOが古民家を改装したシェアハウスを作っており、そこに住むことになりました。

憧れの田舎暮らし=古民家で暮らす!がいきなり実現しちゃいました(笑)

古民家のシェアハウスは佐賀県のどのあたりだったんですか?

佐賀県の三瀬(みつせ)です。福岡との県境に近いエリアで、土師小切(はじこぎり)という10世帯ぐらいの集落にあります。

ちなみにその集落の8割ぐらいが「山本」という名字でした(笑)

街灯も多くないので夜は真っ暗です。ちょうど行った時がカエルがものすごく多い時期で、壁にベタっと張り付いていたりとうわぁーっ!ってなりました。。。

そして、古民家って、実は夏に暮らしやすいようにって作られていて、とても風通しが良いんです。なので、隙間風がすごいんです。縁側の上の方がちょっと開いていて、そこからもう、これくらい(親指と人差指をくっつけた輪)の蛾がブーンって入ってきて部屋の中でバタバタバタバター!!!!って(笑)

それが一番最初のスタートで、憧れの古民家暮らしは全然憧れられる内容じゃなかったです。ギャップがありすぎて。ねずみも走るし、たまにヘビも入ってきたりとかしますし、大変でした。

まさしくそういうことって、移住とかを考えられる方のイメージと現実の違いだと思うのですが、どうだったんでしょうか?今だから言えるお気持ちと言うか…(笑)

古民家はすごく良いな!とは思うんですけど、やっぱり古民家じゃない方が良かったかなと(笑)

しっかりとリノベーションしてあればいいなと思うのですが、古民家であまりリノベーションしてない物件とかは、虫問題とかは大変だと思います。今から古民家に住むかと聞かれたら、いや〜となっちゃうかもです(笑)

移住前の生活とのギャップが大き過ぎますよね。

はい。東京に住んでいた時は、駅から歩いて帰る途中にコンビニや食事をするところが当たり前のようにありました。一方で、こちらに住んだら、ちょっと大きめなスーパーまで行くにしても、山をおりる必要があるので40分くらいかかります。

買い物問題の他にも、東京でずっと使ってた大手の都市銀行はこちらでは不便だったり、本当に生活が変わりすぎて。あれもあかん、これもあかん、とかいうのがいっぱいありましたね。電波も届かなかったりもしますし。やっぱり田舎暮らしって大変だなぁって思いました。

最初に住む場所は、いくつかの選択肢から選んだのですか?

一択だったんですよね(笑)

シェアハウスがあるのでそこにということで、迷わなくて良かったと思います。最初に佐賀市内の中心部に住んじゃうと、あんまり東京の暮らしと変わらないでしょうし。もう0か100か、というぐらいに振り切った方がおもしろさはあります。だから、山の中のあの古民家に住めたっていうのはいい経験でしたね。

なるほど。地元でない視聴者の方にはご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、三瀬は福岡と佐賀を結ぶ山道のちょうど真ん中くらいなんです。

最初から山の中に飛び込んだので、山の中だったからこそ、今まで見えなかったものが見れて、体験できなかったことが体験できました。

月明かりだけで夜道を歩くとか。満天の星空をただただ見れますし、流星群を家から出てすぐのところにキャンプ用の椅子を出して、コーヒーを飲みながら眺めるのって、めちゃくちゃいい生活やなっ!て思います。

地域おこし協力隊でのおしごと

おしごとの取材は三瀬から通われていたんですか?

そうです。僕の活動エリアが6地域あり、全てが中山間地域で、拠点からの移動時間でいうとどこにいっても1時間かからないくらいの場所でした。

現地に取材に行って、帰ってきては書きものをしてというのを繰り返していました。

佐賀県全域ではなくて佐賀県の中で担当のエリアがそのエリアだったということなのですね。

はい、担当したサイト『佐賀のお山の100のしごと』が、山の暮らしと山で仕事をするということにフォーカスを当てていたので、中山間地域の活性化をテーマに取材をさせていただいていました。

画像をクリックして「佐賀のお山の100のしごと」サイトをご覧ください!

本当にいろいろな方を取材させていただきました。

既にサイト自体は作ってあって、サイトのテーマやコンセプトはありました。僕が移住したタイミングで、コンテンツをどうしようか、取材をどういう内容にしていこうかというタイミングで、運営に携わるところから決めさせていただきました。

佐賀県の中山間部をずっとまわられていたんですね。

協力隊のミッションでいろんな人とお話しさせていただいたりとか、いろいろな経験ができたので、協力隊を終えた後に定住をしようと思う決め手になったと感じています。

取材が続く頃の取材の頻度とかっていうのはどんな感じだったんですか?

最初は思うように進まなかったので、数週間で記事を1本仕上げるみたいな感じでした。全部で3回ぐらいは現地に行かせていただき、取材をして、記事にまとめていきました。

しっかり取材するのでインタビューに関しての文量がすごく多く訛りなどもあったりするので、それに慣れるというところにも時間がかかりました。

言葉の問題って、ありますよね。

そうなんですよ。

なんて言っているんだろう、というのが結構多くて、それをNPOの方にどういう意味ですかみたいなことを聞きながら記事にまとめていくので、時間はかかりました。

方言は年齢層によっても違うこともあるので、取材の時も集落に住んだ時も、大袈裟に言うと9割ぐらい何言ってるかわからないような感覚の時もありました(笑)

地区で月1回の例会というのがあり、集落のみんなが集まって、連絡事項などを話し合ったりするのですが、最初の頃は本当に全然聞き取れなくて、何となくうなずいてたら、「うなずくなー!」って怒られたり(笑)。

それって、取材になるんですか?

取材はできたんです(笑)

取材相手の方も気を使って標準語で話そうと意識してくださるので。ただ、地名であったりとか、○○さんの何々とか、繋がりの中でのお話をされることも多いので、○○さんって誰?みたいなことは結構ありました。

その○○さんを調べてもう一回取材し直して、とかもありましたし、1回のインタビューで2時間半くらい時間をいただいて、写真撮影をしながら更にお話を聞いて、という感じでしたね。

時期的に地域おこし協力隊に着任されたあとに、新型コロナウイルスで緊急事態宣言が出たりしましたが、このあたりの影響ってどうでしたか?

対面で会うことができないということにはなりましたね。

なので、この間はどういうふうに取材していこうかといったことを、かなりたくさん話し合いました。取材ができないので、自分たちの畑などの情報発信に切り替えたこともありましたね。

畑もやられていたんですか?

移住して、地方に来たら、やっぱり畑だろう!と思って。

シェアハウスの目の前に土地があり、畑をやってみたいと伝えたら、土作りとか畝作りとかを教えてくれました。トラクターを出してもらったり、雑草が生えない方法を教えてもらったり。

モチキビっていう、もちもちとした歯ごたえで、トウモロコシのような品種があるのですが、それを育てて、100本ぐらい取れました。なので、皆さんに振る舞うイベントを企画して、配ったり、食べていただいたり。そんな感じで畑はすごく楽しんでやっていました。

今も、小さくはなりましたが、「すぐるん農園」っていう農園をしていて、野菜を作って、を配ったり売ったりということはやっています。

本当に東京で暮らされてた時と全く違う生活になるわけじゃないですか。ギャップはありませんでしたか?

スローライフみたいな感じの生活は最初の1ヶ月だけでした(笑)

朝、日が昇って、6時とか7時とかに起きて、ちょっと畑に出て、ちょっと作業をして。それから朝ご飯に卵かけご飯を食べて、仕事行って、打ち合わせをしたり、記事の書き方についてのミーティングして、夜は地元の方と交流したりとか。

「これぞ田舎暮らし」みたいな感じのスローライフをしてみたんですが、1ヶ月ぐらい経ったらもうそんなこと言ってられない感じになりました。田舎の方が忙しいんだなって感じるようになりました。

畑を始めたということもありましたが、2年半しか協力隊の期間がないので、協力隊の任期の後、定住するために仕事を生み出さないといけないと思って、どうやって仕事を作っていこうと考えたりしていたら、東京にいる時よりもめちゃくちゃ忙しくなっちゃって(笑)

寝る時間も本当に少なくて、記事を書いて、動画を作って、それをアップして、仕事行って、取材行って、その間にイベントなどに参加させていただいて、といったことをすると、どんどんどんどん忙しくなっていきました。

役者として場を作る。人生のステージは佐賀

地域おこし協力隊が終わった後のお仕事は、当時はどう考えていたんですか?

元々ディレクターの仕事をしていたということもありまして、動画制作についての相談を受けることが増えていたんです。情報発信のために動画を作りたいという人が増え、その相談をいただくようになりました。実は、映像を作る仕事はもうしたくないな、と思って佐賀県に来たという側面もあるのですが、求めてもらっているので、やってみようかなと。

ただ、ディレクターだったので、カメラの技術も、編集の技術も足りなくて。通常はカメラマンや編集マンがいて、分担して作業するので、ディレクターとしては構成が仕事でした。

なので、事業として始める前に、まずは自分でYouTubeを始めました。1日1本更新を100本までやると決めて、やってみました。再生回数とかは度外視していましたが、この活動をNPOの人たちが見ていてくれて、100本作ったあたりから、NPOの方や地元の方からお声掛けいただくようになって、仕事になり始めました。

仕事ができた、というのが定住を決意するきっかけになったのですか?

いえ、もしかしたら、これが仕事になるのかな?というくらいの期待でした。なので、これだけで生活できるかなという不安はありました。3つくらいの柱を作っておかないと生活は安定しないだろうと思っていました。

1本は映像制作にしようと考え、それ以外については、自分のできることで役に立てることはなんだろうと模索していました。ちょうどその頃に、中小企業の相談窓口で講師のお仕事などもいただけるようになってきました。

定住を決めたのはいつ頃だったのですか?

2020年11月頃です。地域おこし協力隊に着任してから1年くらい経った頃でした。

地元に戻って就職するか、このまま佐賀に定住するか、他の地域に行くか、ということを選択肢にしていました。地元の方々とお話しさせていただいていく中で、必要と思ってくださる方が増えてきて、他の地域に行くという選択肢は早々に消えました。

コロナのこともあって、一度関西に帰省した後、(佐賀に)帰ってくるな的なことを言われることもあり、それはちょっと寂しかったです。ただ、そんなことをYouTubeにあげてみたら、佐賀の方から「すぐるちゃん、帰っておいで。絶対これから面白いことが起こるから!手伝ってあげるから」って言われて、とてもとても嬉しくて。

中山間地域が人口減少でこれからどうなっていくんだろうみたいな気持ちもありました。

住んでいた時の集落は年齢層でいうと平均が70歳とかぐらいで、本当に2〜3年したら、草刈りできる人も少なくなってくるだろうなぁって思うと、早めから人を呼び込むような動きっていうのをしとかないといけないなぁっていう考えもありました。

中山間地域について、自分の地元としての愛着が生まれたりといったことなのでしょうか?

そうですね。地域活性化について考える時、地域ってどこやねんっていう話を最初に問いかけられて。

最初は地域=土地という感覚でした。住んでいた場所が三瀬だったので、三瀬という地域、という考え方だったのですが、いろいろな方を取材させていただき、いろいろな人と関わり始めてから、土地に関わらなくても良いのかなということを感じ始めました。

僕と誰かがいる、その間が多分、自分の地域なんだって思い始めて。

それが僕にとっては佐賀県だったって言う感じですね。役者をやっていたので、思うこととしては、自分の立つべきステージが佐賀県なんだなって。

関係する人というところが大きいってことなんですね。

そうですね。土地に愛着があるかって言われたら、ちょっと違うかもしれません。

住んでいる富士町もすごく好きなんですけど、愛着があるかって言ったらそうとも言い切れなくて。それよりはここに住んでいる人に愛着があるっていう状態です。

地域活性化やコミュニティといった言葉がよく出てきますが、山本さんの中では、そこにいる人との関係性みたいなところがそういう言葉のイメージになるんですかね。。

そうですね。それが一番自分の中ではしっくりきたかなと思ってます。

なので、人との距離感の中での活性化っていうところが今やってることですかね。地域活性化というと難しいのですが、「自分地域活性化」っていうような言い方をして、自分たちの間で、どれだけおもしろいことをできるかということを考えています。

お金に変えられるようなノウハウやスキルを、地域の皆さんと掛け合わせながらやっていくとワクワクすることが生まれていきます。

場所じゃないっていうのが、なるほどなぁって思いました。

今はもう佐賀県にいながらも北海道の方とやりとりしていたり、愛知や愛媛だったり、先日は石垣島の方ともお話しさせていただいたり。

アメリカやスウェーデンの方ともコミュニケーションをとることもあり、佐賀が中心にありつつも、全世界に自分の地域ってあるんだなーって今は思っていますね。

今後の展開:音無てらすと、むおんキャンプというステージ

「音無てらす」や「むおんキャンプ」についてお聞きしたいです。こういった、リアルの場づくりはどういった経緯で始められたんですか?

「音無てらす」は、人口減少っていう地域課題があってどうやって人を呼び込めばいいかっていうのをすごく考えてた時期に、移住してきた方とお話する機会があり、「移住って重たくなかった?」って聞かれたんです。仕事をやめたり、いろいろ整理したりとか大変じゃなかった?って。

僕は移住について重たく考えたことはなかったんですが、そうか、移住って重たいんだ〜って思って。それで、仕事を気軽にこっちに持ってきてもらって、地域を知ってもらって、この地域って面白いなって思ってもらったら、ようやく移住を考えるかなと。そういう場があったほうがいいかなと思い、仕事を気軽に持ってこれる場所として、コワーキングスペースを山の中で作ったらどうかと考えて、作ったのが始まりですね。

地域の方とは「コワーキングスペースって何?」「仕事をするところって何?」「テレワークって何?」というところから話をしました。最初は地域課題に向き合うということも含めて、古民家を改装してと思っていたのですが、空き家というのは結構難しいものなんです。なので、一時期は断念していたのですが、地域の方のお手伝いもあり、古民家ではなくて新築で作ってみようということになりまして。

地域課題の中でも空き家問題は難しいけど、だったら山の活用だ!ということになり、井戸も電気もなく、電波も届かない、何にもない場所だったのですが、土地を買いました。県庁の方から、ガバメントクラウドファンディングという手法があるからプロジェクトとして挑戦してみないかというお声掛けもいただき、集めたお金で基礎工事から始めて、その後は銀行や行政の方に相談しながら、建てたのがこの「音無てらす」です。

「むおんキャンプ」についても地域課題と向き合うという目的で作りました。耕作放棄地という地域課題があります。年齢が高くなって畑ができなくなって、農地に手を入れなくなると、イノシシが来て荒らすようになって危険になります。

耕作放棄地をどう活用するかということを考えているときに、応援してくださっていた方がキャンプ場ってどうだろうか、とアイディアをくれまして。耕作放棄地は農地なので、農地転用をする必要があり、半年くらいは他のキャンプ場などもリサーチして、僕が思う富士町の良さは「夜が静か」ということだとたどり着き、自分が本当にここにいるのかわからなくなるほどの静かさ。

なので、周りに人が全くいない環境でのキャンプ場ってどうだろうか、と思い、企画をあげてみたところ、県庁の方が農地転用の手続きなども支援してくださり、キャンプ場になりました。

地域の方に声をかけて始められていますが、できた後は地域の方はどのような反応をされるのですか?

これが不思議なもので、ドーナツ化現象みたいなものなんです。

富士町自体ではそこまで話題にならないんですが、それ以外の周りの方が盛り上がってくださって、遠方からもお越しになったりします。地域の方に情報が届かないというか、このあたりはまだ課題だなと思っています。

外部への発信に力を入れてきたこともあり、富士町のまちづくり協議会の方たちも来てくださったり、富士町で面白いことができないかという相談ももらったりということが出てきましたが、派生の仕方が独特だなと感じています。

それでは、このあとの山本さんの展開について、お聞かせください!

コミュニティづくりが重要だと思っていまして、僕は海賊団を作りたいんです!

海賊団!(笑)

あの某漫画のチーム作りっておもしろいですよね。それぞれの能力や個性があって、別々のことを考えているのに、目指す目標は1つでまとまっているというか。こういうチーム作りっていいなと。「音無てらす」に関わってくださる方ともチームを作っていたりするので、こういうコミュニティづくりをやってみたいなと思っています。

それから、「佐賀だからできない」と言われるのはおもしろくないです。佐賀県だからできないことは全くないです。佐賀県は本物を作ってきた県なので、佐賀県の人々をコラボさせていったら、おもしろいことが起きると思っています。変な国佐賀を作りたいなと。佐賀県はクリエイターが多いよね〜とか、外の方におもしろい見え方ができるように発信していきたいなと思っています。

そういった活動をされるには「音無てらす」のようなリアルの場を持っているのは強いですね。

そうですね。僕は役者だったので、佐賀県がステージです。

どんなエンターテイメントでもステージは必要じゃないですか。役者として、場を作ることは大切です。アプリを1個作って、とかでもやれることはあると思いますが、僕はみなさんが表現できるステージを1つ作れたということは良いことだったんじゃないかと思っています。

おもしろがってくれる方が見に来てくれる場、キラキラしてワクワクしていて面白そうだと思ってもらえる場、というのをやっていきたいですね。

そして、ずっとニコニコ笑っていたいです。

アフタートーク

今回は番組終了後の熱が冷めやらぬ青木が、番組に続いて山本さんとアフタートークをしました。ぜひご視聴ください。

〜第23回目の「いろいろTV」を終えた青木の振り返り〜

地域おこし協力隊の活動や地域への移住についてお聞きした『いろいろTV』23回目の放送でした。いつも視聴いただき、ありがとうございます!

古民家での暮らし始めの話、地域の方との関係づくりの話など、山本さんの経験談ですが、地域おこし協力隊や移住のリアルな話を聞けて、とても勉強になる時間でした。

「コミュニティをつくること」は「場をつくる」こと、「ステージをつくる」ことという表現がとてもしっくりきました。