「いろいろTV」はいろいろ株式会社代表の青木が気になる人に、いろいろなおはなしをお聞きするオンライン番組です。
第58回目は、ゲストに一般社団法人あわい代表理事であり、フルート奏者である伊藤愛氏をお迎えして、アーティストのキャリア形成など、いろいろおはなしをお聞きしました!
目次
中学での偶然のフルートとの出会いからフランス留学




よろしくお願いいたします。


大阪出身で、現在は鹿児島県の錦江町という自然豊かな町を拠点に、音楽活動やアーティストをサポートする会社を運営しています、フルート奏者の伊藤愛( いとうまなみ )と申します。


実は、最初はフルートを始める気は全くなかったんです。
中学生の時に吹奏楽部に入りたくて、ホルンというカタツムリのような形をした金管楽器をやりたかったんです。
いざ吹奏楽部に入部すると、顧問の先生が「 生徒の希望は聞かない 」という方針で、いろいろな楽器のテストをさせられました。
その結果、フルート担当に任命されました。


後から聞いた話ですが、体験入部の際に先輩たちから教わって少し吹いてみた段階で、部内で「 この子、フルート上手だよ 」「 すぐに音が出たよ 」という情報が共有されていたみたいです。
そうした情報もあって、フルートに選ばれたのだと思います。


最初はすごく嫌だったんです。
私の中でフルートといえば、綺麗なお姉さんが静かに吹いているイメージが強くて。音楽はもっとかっこよくやりたいという思いがあったので、「 ええ? 」と不満に思っていました。

でも、実際に練習してみると、上手に吹けるようになっていくことがすごく楽しくて、すっかりドハマリしましたね。


はい。
小学校の高学年の時、「 鼓笛隊 」という小さなマーチングバンドのようなものに所属していて、少しだけ楽器に触れていました。
太鼓と金管楽器だけだったので、漠然と「 中学生になっても金管楽器をやるんだろうな 」と思っていました。


中学三年間は、がっつり吹奏楽部漬けでした。
「 全国大会を本気で目指す 」というような強豪校だったので、学校に行くのは部活のため、というくらい音楽漬けの日々でした。


高校に入ってからは部活には入らず、個人でレッスンに通っていました。
中学の終わり頃に、高校卒業までずっと面倒を見てくださる師匠に出会いまして。
「 私が面倒を見るから 」とレッスンをしていただけることになりました。

中学時代の顧問の先生からは、「 これだけ本格的に個人レッスンを受けているということは、音大に進む道を選ぶということだぞ 」と言われて、「 あ、そうなんだ 」と。
自分の強い意思というよりは、「 そういうレールに乗っているんだな 」と自覚しました。


7時間くらいは、平気で吹いていましたね。


当時はそうでした。
いま「やれ」と言われたら無理ですが(笑)
いま考えると効率が悪くて、ダラダラと吹いていた部分もあったと思いますが、とにかく少しでも長く吹いていたいという気持ちでした。


実は両親からは「 音楽の道 」を猛反対されていたんです。
「 音楽の世界は一握りの人しか食べていけない世界だからやめなさい 」と言われ、高校三年間ずっとバトルをしていました。
親からは反対される一方で、レッスンに行けば先生は音楽の道へ進むように導いてくださり、楽器店の方もコンクールの情報をくれるなど、周囲からは手厚くサポートしていただいていました。

ただ、いざ進路を決めなければならない高校三年生の夏前になっても、全く決まっていませんでした。
というのも、日本の音大は学費が高く、両親からは「 音楽しか学べないところに、そんな大金は出せない 」と反対されていました。
「 奨学金を借りる 」と言っても、なかなか首を縦に振ってくれず。
途方に暮れていたところ、師匠から突然「 直接フランスに行くのは駄目なの? 」と言われたんです。


本当に驚いて、「 えー! 」ってなりました。
でも師匠いわく、「 日本の音大に四年間通ってクラシックを学んでも、絶対に『 本場で学びたい 』と思うようになる。その時にまたお金がかかるくらいなら、最初から行ってしまえばいいんじゃないか 」と。
海外の学校は高いと思い込んでいたのですが、調べてみると、フランスをはじめヨーロッパの国々は芸術学生に非常に優しくて、学費がとんでもなく安かったんです。
私が最後に通っていた学校には、学費は年間で3万円ほどしか払っていませんでした。


文化の違いですよね。
「 大学は高いもの 」「 音楽を学ぶにはお金がかかる 」と思い込んでいたので、「 これだ! 」と思いました。
色々な学校の資料をプリントアウトして、両親に「 学費はこれくらいで済みます。語学も学べるので音楽以外の勉強にもなります 」と必死にプレゼンをして、ようやくOKをもらうことができました。


はい、夏から必死に勉強しました。学校の授業中も、先生には申し訳ないですが、ずっと一人でフランス語のテキストを開いて黙々と勉強していました。
言葉の壁と厳しいレッスン。本場フランスでの音楽漬けの日々


私はフランスで二つの学校に通ったのですが、週に一回は必ず主科の先生のレッスンがありました。
それに加えて、「 楽典 」や「 ソルフェージュ 」といった座学の授業、室内楽でグループを組んでレッスンを受ける授業、「 初見 」といって出された楽譜をその場で吹く授業など、いろんな授業がありました。
先生によってレッスンの進め方は全く違っていて、最初に通った学校では、毎週3〜4曲の新しい曲を仕上げてレッスンにのぞまなければなりませんでした。
日本ではそんな短いスパンで新しい曲を仕上げたことがなかったので大変でした。


クラシックの場合は一曲20分ほどある長い曲もありますし、楽譜1ページの短い曲もあります。
曲の難易度や長さに大きく左右されるので一概には言えませんね。


基本的には頭に入るように、暗譜しておくのがベターとされています。


なりました。
初めての一人暮らしだったので、家事のリズムも分からなければ、レッスンで先生が言っているフランス語も理解できなくて。
毎晩泣きながら勉強して、最初の半年は本当にしんどかったですね。


そうですね。
私と同じような境遇の留学生たちが、言葉が分からない辛さを理解してくれて、助け合いのコミュニティができていきました。
また、同期のフランス人の女の子に「 フランス語が間違っていたら指摘して 」とお願いしたら、すごく熱心に教えてくれるようになって。
友達が増えるにつれて、少しずつ辛さはなくなっていきました。


はい。
ピッコロはフルートの半分くらいの大きさの楽器なのですが、プロの奏者としては、両方吹けないとなかなか…ということがありまして。
オーケストラでも、フルート奏者として入っても「 この数小節だけピッコロに持ち替えて 」という楽譜があります。
日本ではピッコロを主科として教える音大が存在しないので、本格的に学ぶなら海外に行くしかないと考えていました。
フランスにいる間に学んでおきたいとぼんやり思っていた時に、素晴らしい先生に出会い、「 この先生に習いたい! 」と思って、その先生が教えている二つ目の学校を受験しました。
「 聞こえなかった音が聞こえるようになる 」論理的な指導が変えた世界


親身になって、一つのことに対してものすごく論理的に、突き詰めて説明してくれる先生だったんです。
私がそれまでフルートを習っていた先生は、良くも悪くも「 天才肌 」で、「 こうすればいいんだよ。なんでできないの? 」と感覚で教えるタイプでした。
見て学ぶには素晴らしい環境だったのですが、ピッコロの先生は「 最初の一小節だけで一時間のレッスンが終わる 」というくらい、じっくりと細部まで指導してくださる方でした。
「 この人に教われば、何か新しい感覚が掴めるかもしれない 」と直感しました。


はい、大正解でした。
その先生に習ったからこそ、それまで「 聞こえていなかった音 」が聞こえるようになったり、自分の演奏の細かなアラに気づけるようになったりしました。


例えば、「 タラララ 」という速い連符を吹いた時に、四つ目の音の響きが少し薄いとか、音の間の指の動きがほんの一瞬だけズレてノイズが入っているとか、そういう細かいディテールの部分です。
以前は「 とりあえず数をこなさなきゃ 」と勢いで吹いていたので気づけなかったのですが、本当に耳を澄まして音を聴くことができるようになると、見える世界が全く変わりました。
「 できているつもり 」だったことが全然できていなかったと気づけたことで、練習の質が劇的に上がりました。

帰国直後はコロナ禍。アーティストとして生きる道を模索して錦江町へ


「 芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド 」という、若手演奏家がプロのオーケストラから実践的なサポートを受けられる機関に合格することができました。
そこでは演奏技術だけでなく、コンサートの企画やプログラム構成、営業の方法などの実務的な部分も学ばせていただきました。
徐々に人とのご縁が繋がり、仕事の依頼も増え始めて「 ありがたいな 」と思っていた矢先に……
コロナ禍がやってきたんです。


予定されていた3ヶ月後、半年後の公演が次々とキャンセルになり、目の前から仕事がどんどんなくなっていきました。
当時は東京に住んでいたのですが、「 家賃を払うためにアルバイトをするなら、一体何のために東京にいるのだろう 」とわからなくなってしまって。
未曾有の危機でいつ終わるかもわからない中、都心ではなく、地方でチャレンジしてみたいという思いが芽生えました。


はい。協力隊の募集の多くは「 農業 」や「 福祉 」といった差し迫った課題に対するもので、音楽で募集をかけている自治体はありませんでした。
それでも、面談で「 音楽をどう入り込ませるか 」を提案して、いろいろな自治体とお話ししました。
その中で、錦江町の担当者の方が「 やりたい想いと町の空気が合わなかったら、せっかく来てもらっても三年間が無駄になってしまう。まずは一度町を見に来ませんか? 」と言ってくださったんです。
当時の担当課長( 現在の町長 )とお話しした際も、「 町の課題のためではなく、自分の想いに正直に三年間突き進めばいい 」というお言葉をいただいて。こんなふうに言ってくれる人たちがいる町で頑張りたいと思い、錦江町へ移住を決めました。
地方での新たな居場所作り。後進に伝えたい「 誠実に向き合う心 」


「 地方でもアーティストが生きていける土壌探し 」がメインテーマでした。
東京にいると、どうしても仕事の奪い合いになってしまい、需要に対して供給過多な状況を感じていました。素晴らしい才能を持った奏者が辞めていく現実を目の当たりにする中で、「 地方でも仕事の機会を作ることができれば、活躍の場を広げられる奏者がもっと増えるのではないか 」と考えたんです。
自分が定期的に仕事をいただけるようになれば、他の奏者を呼んでくることもできますし、「 地方には機会がないから音楽家として生きていけない 」と諦めるのではなく、地方も活動拠点の一つの選択肢になるように繋いでいけたら嬉しいなと思っています。


「 地方は文化に対してお金を払いたがらない 」というお話を聞いていたのですが、意外とそうではないというポジティブな発見がありました。
どこに行っても「 良いものは良い 」と評価してくださる方がいますし、「 地方だからこそこういう文化が大事だ 」と応援してくださる方々が本当に多くて、いろいろな形でサポートしていただいています。


「 地方なら競争相手が少ないから、実力がなくても仕事がもらえる 」というような逃げ道にはしてほしくない、ということは誠実に伝えたいです。
地方であれ都会であれ、自分を律する心の強さや、音楽に対して誠実に向き合う姿勢は絶対に欠かせません。
その努力を惜しまない上で、本当にやりたいことを実現するための選択肢の一つとして、地方という場所を活用してほしいと伝えたいですね。


ゲストプロフィール

伊藤 愛(いとう まなみ)氏
一般社団法人あわい 代表理事 / フルート奏者 / 音楽家
1995年 大阪生まれ。13歳でフルートを始める。2013年、第67回全日本学生音楽コンクール全国大会入選。
現在、一般社団法人あわいを設立しアーティストの居場所づくりを行いながら、個人で演奏活動を行う。2024年デジタルシングル「瑞風」をリリース。
高校卒業後、渡仏。CRR de Rueil-Malmaisonにてフルートを、CRR de Parisにてピッコロを学ぶ。両音楽院でそれぞれDiplômeを取得し卒業。2015年、Jeune Flûtiste国際コンクール本選入選。フランス留学中の5年間で、各地の夏期音楽アカデミーやコンサートへの参加で研鑽を積む。2019年秋に完全帰国。フリーランスの音楽家、そして芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(東京芸術劇場)の第6期生として活動を開始。
2021年4月~3年間、鹿児島県の大隅半島にある錦江町(きんこうちょう)で、地域おこし協力隊として活動。 フリーランスの音楽家としての活動と並行し、地方での芸術の関わり方・芸術家の生き方について興味を持ち、模索した。
これまでにフルートを前田綾子、奥田裕美、Philippe PIERLOT、Michel MORAGUESの各氏に、ピッコロをNathalie ROZAT氏に師事。
〜 第58回目の「いろいろTV」を終えた青木の振り返り 〜
自分にはとても縁遠いと思っていた音楽、そして、アートの世界。
伊藤さんが代表をされている一般社団法人あわいが運営されている『 めぐるおおすみアートweeks2026 』のおかげで、人生で初めて、自分事として、関わる機会に出会えたと感じています。
そして、初めて会ったフルート・ピッコロ奏者、どんなお仕事なのか興味を持ち、伊藤さんにいろいろとお話を聞かせていただいた58回目の『 いろいろTV 』。
「 聞こえなかった音が聞こえるようになった 」というお話がとても印象的でした。
言語化して論理的に説明できることの効果が音楽というアートの世界でも通じる感覚があるんだと当事者の伊藤さんからお聞きできたことは、とても嬉しかったです。
「 できているつもり 」だったことに気付くためのアプローチを教えていただけたなと感じました。
今回はお時間が足りませんでしたので、一般社団法人あわいの活動、めぐるおおすみアートweeksへの想いなども今後お聞きできればと思っています!
伊藤さん、貴重なお話をありがとうございました!
