【いろいろtv_#10】 教えて夏川戸さん海士町と豊後高田に見る、地方の若者のキャリア

いろいろ社の新たなプロジェクト「いろいろTV」。いろいろ社 社長の青木が気になる人に、いろいろなおはなしをお聞きするオンライン番組です。

第10回目は、前回に引き続きゲストに株式会社ファンディングベースの夏川戸大智さんをお迎えして、「地方に住む若者のキャリア」について、いろいろなおはなしをお聞きしました!

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目次

地域のお祭りやイベントに参加して、地域での信頼関係を地道に築く

前回に引き続き本日もどうぞよろしくお願いします!夏川戸さんには今回も海士町の絶景をバックにご登場いただいております。

今回もどうぞよろしくお願いします!

夏至も過ぎて陽が延びたので、今回は綺麗な夕焼けに間に合ってよかったです(笑) 最初に自己紹介をお願いします!

ファンディングベースの夏川戸大智(なつかわどだいち)です。今年31歳になります。ファンディングベース社に入社して4年が経ちました。簡単に自己紹介をすると、僕は青森県の出身で、高校を辞めてから1年間フリーターをして、そこから自衛隊の防衛大学校に入学しました。在学中に身体を壊したので卒業と同時に自衛隊を辞めて、IT系の会社に入社しました。前職で営業をしているときに青木さんとはそのときに出会いました。現在はファンディングベース社で、大分県、新潟県での活動を経て、島根県の海士町で事業の立ち上げをしています。

ファンディングベース社は地域の課題に合わせて、事業を創造から実勢まで行うベンチャー企業です。社会性と経済性のバランスを見ながら、個人の豊かさと街の競争力を地域で生み出していこうと取り組んでいます。例えば、社会性の面ではシティプロモーションや教育事業、経済性の面では有休不動産を使って観光事業を作ったり地域商社の一次産業の支援をしたりしています。今は海が綺麗なここ海士町で事業開発をしている最中です。

ありがとうございます!さっそく、ファンディングベース社が地域で行なっている活動についておはなしをお聞かせいただきたいと思います。

入社してからの3年半、まずは大分県の豊後高田市に赴任しました。最初は地域に住んだら、何でもさせてもらえると思っていたんですが、当時25歳の若造が何しにきたんだという感じでした(笑) ビーチの企画運営ではなく、ゴミ拾いや掃除をして信頼を作っていくことから仕事がスタートしました。信頼関係がなければ仕事は生まれないと思ったので、地域のイベントにも積極的に参加しました。

12月の川に飛び込むお祭りなんですが、100人くらいで2〜3時間お神輿を担ぎながら町内を回って、最後に川を渡ります。あとは1月にまちの中で10人だけ若者が選ばれて、豊漁や豊作を願ってふんどし姿で川に飛び込んだこともありました(笑)

これは両方とも豊後高田市のお祭りなんですか?

そうです!豊後高田市には、冬に3回川に飛び込むお祭りがありまして、それにすべて参加しました。結果的に振り返ってみたら、3回とも参加していたのは僕だけでした(笑)

これはどういうお祭りなんですか?

各地区単位でお祭りがあるんですけど、その地区の代表の人たちが参加できるお祭りなんですが、いろんなお祭りに参加しまくっていたら、お声がかかりお祭りに参加させてもらえることになりました。

リハーサルはあるんですか?

いえ、ぶっつけ本番ですね(笑) 10人しか出られないお祭りは、移住者で参加したのは僕が初めてで、町内でも議論が起きていました。

移住して何年目のときに参加したんですか?

1年目です。

行ってすぐなんですね!

地域のお祭りやイベントに参加しないと、その土地に馴染んでいかないだろうということで、積極的に参加しました。

飛び込む前と後で、地域の人との関係性は変わるものなんですか?

そうですね!「お前あの祭りに出たんか!」みたいな感じで、一気に仲間に入れてもらえた感じはありましたね。「身体張ってるね!」って声をかけてもらったりして(笑)

真冬なわけですから、相当寒いんですよね?

すごく寒いので、地域の人たちも出たがらないんですよね(笑) ゴミ拾いみたいな活動とお祭りに参加してそのまちの文化に関わらせてもらうことで、信頼につながっていったんだと思います。それがあってやっと、こういう事業をしましょうと提案できるようになっていきました。

そこから事業の提案をさせてもらってから、実際にその事業にできるまでもファンディングベース社でお手伝いするという流れです。もともと地域の人たちも全然行っていなかったような海水浴場にグランピング場を作って、わざわざ県外からのお客さんが来るまでになりました。

グランピング場を作ったのは、移住してどれくらいのタイミングだったんですか?

移住して2年目くらいですね。行って1年目の終わりに提案ができて、着工したのが2年目でした。工事を2期に分けて着工途中から仮でオープンさせて完成しました。本格的にオープンしたのが、移住して3年目ですね。

真冬の川に飛び込んだあとに、企画が進んで行ったということなんですね(笑)

そうですね(笑) 森の部分を取ったり、使っていないベンチや看板を撤去したりといったハード面から、そこでどのような事業をするのかというソフト面まで提案させてもらいました。そのあとの集客の施策やスタッフの育成までファンディングベース社が関わっています。

この施設は最大で何名くらいまで泊まれるんですか?

今は最大で40名くらいだと思います。

オープンされて4年くらい経っているんですよね?夏が来場者数のピークだと思うんですが、1年中観光客が訪れるんですか?

通年で営業をしています。夏の時期も多いんですが、冬の時期はお客さんが少ないのでプライベート感を味わいたい方がいらっしゃいますね。

企業のオフサイトでも利用されているんでしたっけ?

そうですね!企業の打ち上げや研修旅行などにもよく使われています。地域の人たちが「自分たちでもまちを変えられるんだ!」とまちに対して前向きな未来を感じてもらえているのがわかったときに、こういう場を作ってよかったなと思いました。

施設がオープンして少し経ったときに、地域の人から「君たちのおかげでまちで夢が見られるようになったんだよね。このまちに生まれて40年、なんで俺はこんな田舎に生まれたんだろうと思っていたんだけど、若い人たちが来てまちが変わっていく様子を見て、まちって変えられるんだと思ったから、俺も新こしいことにチャレンジしたいんだよね」と言っていただけたんですよ。事業を通じて、まちを変えていくってこういうことなのかなと思いました。

新しい人が来る、新しい施設ができるということが想像できるようになったということなんですかね。

「田舎って変えられるんだ!」という感じだと思います。

その方はどういう関係性の方だったんですか?

お祭りをきっかけに知り合いました。そこからグランピングを作るはなしをして、遊びにきてもらってから関係性ができていきました。

地元の方々とも接点ができていくと思うんですが、どれくらいの数の人と接点ができるんですか?

そんなに数を意識したことなかったんですが、200〜300人くらいかなら?一方的に知ってもらっている人もいれると、500人くらいなのかもしれないですね。その地域に住んでいるので、スーパーで急に話しかけられることもありましたね(笑) 

すっかり人気者ですね(笑) グランピング場の次はどのような取り組みをされたんですか?

事業自体が認められはじめたので、同じ地域内で道の駅の経営を任せてもらうことになりました。もともとは10年程前から、地域に住むお母さんたちが運営していたのもで、高齢化してきたので、誰かに運営してもらいたいという要望がありました。引き継いでくれるなら誰でもいいという訳ではなくて、気持ちの部分もひきついでくれる人たちにお願いしたいということで、その気持ちを大切に僕たちが引き継ぐことになりました。

実際にうちのメンバーが現場に入って加工品を作ったり、農家さんのところに行って野菜を集荷して直売をしたりしていましたね。最初は拠点の立ち上げだったので、僕1人しかいなかったんですけど、地域のお母さんたちのお手伝いやプロジェクトを進めるようになってメンバーもどんどん増えました。豊後高田市の場合だと、道の駅や観光施設の運営、高校の授業に関わったりしましたね。プロジェクトが増えて規模が大きくなると採用ができてくるので、どこか他の拠点が来るというよりもその増えた分だけ採用して、地域に住んでもらうという流れですね。

他の方々を別のエリアから補充するのではなく、入社してすぐ豊後高田市に赴任するわけですね。
現地で人材を調達するのではなく、別のエリアで採用して連れてくるんですね。

そのあとに、古民家カフェと移住定住の事業を他のメンバーが立ち上げていた新潟県三条市に拠点を移しました。プロジェクトとしては、移住定住につながるようプロセス作りということで、行政が運用していたアカウントを僕たちで運用したり、オンラインイベントを開催したり、ニーズに合わせたオーダーメイドの移住体験のプランを作ったりしました。そのような中で、実際に地域に興味があるとなったときに、地域の仕事を紹介するときに、全部の地域の商店や企業と繋がって採用支援と企業の魅力化、マッチングをしていました。

地域に人が移住してきても定住することは難しいので、移住してきたときにこういうものがあったらいいよねという内容を伝えるための冊子を作りました。”誰かの小さなやりたい”を叶えることをコンセプトに古民家カフェをやっていて、誰かのやりたいを軸に人が集まってくるコミュニティを作りました。例えば、すごくカレーが好きだから、自分が作ったカレーを食べて欲しい人がいたとして、その人やその人が開催するイベントを軸に人が集まってくる仕組み作りですね。移住者向けに地域の人と交流するためのイベントを主催したりしていました。

地元企業との連携し、移住者の地域での仕事探しをサポート

三条市に移住をしてくる人たちは、三条市周辺で仕事を探す人が多いんですか?

三条市は職人のまちで、1000社くらい職人の工場があるんですね。家族経営で包丁を作っていて、息子さんが作った包丁は3年待ちで、お父さんが作った包丁は5年待ち、作っている包丁の8割は海外に輸出して、ミシュランの星付きのお店しか使っていないというくらい尖った工場もあるんですよ。

技術はあるんですけど、そこが続いていかないので、まちとしては資産だからきちんと残していきたいと言っていました。そこで職人になりたい人や手触りがある仕事をしたい人たちに向けてブランディングをして、工場とのマッチングをしていきました。

金物のまちで職人になりたい人などが移住してくる対象になるんですか?

そうですね。ただ職人になりたいという人って市場になかなかいなくて。よくあったのは、東京などの大都市で、大企業の一部で働いていると自分のしたいことや自分が誰かのためになっているという手触り感がないと。それで地域にそういう部分を求めて移住する人が多いですね。

その中でもどういうことが自分にとって手触り感だと感じるのかというところを面談したり、地域の企業さんの見学に行ったりしています。企業側も家族経営のところから上場企業まで幅広くあるので、どのレイヤーがいいですか?とヒアリングしながら、オーダーメイドで大人の職場見学を企画している感じですね。

移住を検討している方からの問い合わせは、月にどれくらいあるものなんですか?

僕たちが関わる前は、移住相談は年間に10件くらいなかったそうなんですが、僕たちがコンテンツを作って関わりはじめてから、年間300〜400件程になりました。実際に移住したのは、40〜50人くらいです。

そんなに移住されるものなんですね!

僕たちにとって移住は結果論の1つであって、自分が関わりたい地域を決めるまでにどのようなコンテンツや座組みを用意しておくかが大事だと思っています。例えば、もっと知ってもらうためにどういう取り組みをしましょうか?とか移住に関する課題とはどのようなものがあるのかをどのように解決するかというはなしですね。

移住をする人にとって、移住しようと思ったときに今住んでいる場所を出て何をするのかがスタートにあって、その後それができる場所を探すという思考だと思うんですが、「三条市に行きたい!では三条市で何をしようか」ということになるんでしょうか?移住を検討している人たちの考え方の流れとしてはどういうケースが多いですか?

三条市に移住したいというよりも、地域は決まっていないけれどどこかに移住したいというところを固めるところから入っています。

なんとなく移動したいという人が、いろいろな地域に問い合わせる中のひとつに三条市が入っているという感じなんですかね?

そうですね。僕らが運営をするようになってから、三条市が移住の1位になったんですが、移住に興味がある人たちもまだよくわからないからランキングの1位から問い合わせしてくるだろうと思って、そこに注力しました。

何の仕事がしたいか決まっていないまま、転職の相談をしてくることが多いので、さらに僕たちが地域におけるキャリアアドバイザー的な立ち位置になって、どういう場所でどういう暮らしがしたいかと聞きながらマッチしそうであれば、さっきおはなししたような社会科見学のような他のコンテンツを紹介します。マッチしなければ、自分が関わっていた他の地域や会社が運営に関わっている地域でイメージに近いところをご提案していますね。

社内に複数の地域の相談窓口ができるってなかなかないことですよね。通常は行政の移住担当者が移住フェアに参加して、ブースで相談を受けるけど自分たちの地域以外を紹介することは難しいですもんね。

ランキングの上位になっている地域とはよく情報交換も行なっています。同じ新潟県内の地域とも交流をしていたので、「この企業にはこういう人たちが合いそうだね」ということも見えてきたので、マッチングにいたりました。

いろいろな取り組みをされているんですね!やっぱり打倒長野!山梨!なんですか?

それもありましたけど、そもそも当たり前にやるべきことをやっていなかったので、情報発信を含めて地域で暮らすってどういう解像度なんだろうというのを上げていました。その結果移住に1位に繋がっていたという感じですね。

ちゃんと取り組めば伝わるということなんですね。

語弊があるかもしれないんですけど、そうですね(笑)

コツがいるということですね!

パラレルワークや半官半Xの導入で、移住者の仕事の幅を広げる

三条市のあとに、現在お住まいの海士町に移住してこられたんですよね?

そうですね!そのあと今年の4月から海士町に来ています。ここはとても海が綺麗なまちですね。隣の島に行く船が30〜40本出ていてバスのような感覚で気軽に遊びにもいけます。そこでサウナイベントをしたり、地域に入ってコンテンツを作ったりしています。

牡蠣の養殖がとても有名なので、そこに体験に行って食べるところまでをセットにして提案しています。海士町に移住してきたりする人も多いですし、地域の人との交流も多かったりするので、そこに関わるようにしています。最終的には、ここで地域のコンテンツが集まるキープレイスのような場所作りを目指しています。

僕はスコットランドが好きなんですけど、写真を見て雰囲気がすごく似ているなと思いました。緑と崖が近くにあって、とても素敵ですね。

ユネスコジオパークに認定されているんです。火山の噴火によってできた島なので、断面は地層を感じられます。

海士町ではキープレイスを作ることが目的だというおはなしだったと思うんですが、観光事業に取り組んでいくというのが最初のミッションなんですよね?

そうですね。この場所はフェリーで2時間くらいかかる離島なので、いかに外貨を作れるかがまちとしても課題になっています。だから観光を一番のミッションにしているという感じですね。

ちなみに移住者の方は自主的に海士町に興味を持って住まれているんですか?

海士町は地方創生でいうと、トッププレイヤーなので移住してきている方が多いですね。現在人口が2000人くらいなんですが、そのうちのUターンやIターンも含む200人は移住者です。

移住者の方々はどのようなお仕事をされているんですか?

自分で仕事を持ってきた人も多いですし、どこでもできる仕事の人もいます。地域の1次産業や副業組合というパラレルワークのようにして働く働き方が海士町内にあるので、そういったところで林業や漁業などの一次産業に季節ごとに関わりながら働いている人たちもいます。あとは、行政主導で「半官半X(ハンカンハンエックス)」、半分は行政の仕事をしているけど、地域にある民間の仕事をしていくという働き方もあります。

三条市のように職人の街として、職人さんに弟子入りするような形で就職してもらうという形と、副業組合を通していくつか組み合わせながら働いていく形とどちらの方が夏川戸さん的に難易度の高さを感じますか?

難易度的には副業の方が高いのかなと思いますね。いろいろ試せるというメリットもあるんですが、ひとつのことに深堀ができないので自分の仕事に専門性やスキルを持てなくなるのがデメリットになるかなと感じでいます。

例えば、プロジェクトに関わって抽象化させていきながら、「そもそもことを進めるってこういうことだよね」という思考になるといいと思うんですけど、具体を磨き続ける人たちは難しいのかなと思います。

大企業で働いて生きた人たちは、具体でいってしまう人たちだから、職人さんたちのところに具体を学びに行った方がイメージにはありますよね。

そうですね。でも一方でそれだけをできない理由もあって、季節ごとにその仕事の忙しい時期が違うんですよね。百姓がもともと100の仕事をやっていたように、春の時期は観光が忙しいですし、冬の時期だと仕事がないこともあります。だからそれだけを専業で取り組むということはそれだけでは厳しいので、その仕事自体の在り方を変えるか、複数の仕事を持つかという働き方になってしまうかなと思っています。

コミュニティの集合体の熱量がその地域の未来を作り出す

地方都市で活躍するにはちょっとした器用さみたいなものがあるといいんですかね?

そうですね。既存のシステムを理解した上で新しいものをどのようにして作っていけるかだと思っています。僕の中で地域は新しいものを作るフィールドだと思っていて、都市よりも地域の方が余白があるからこそ、そこに自分がやりたいことを含めて新しい価値となって、地域の中で外貨を稼ぐことや新しい価値になっていくと思います。

だから何か挑戦して新しいものを作っていく、既存であるものをアップデートしていけることが必要だと思いますし、そこが面白い部分なのかなと思っています。

地方の若者が言いそうなことと真逆のことを言いますね!地方の若者は、「クリエイティブなことにチャレンジしたいから東京に出たい!」というイメージがあるんですが、地方の方がチャレンジできるというのが夏川戸さんの考えなんですね。

僕たちはその地域ならではの、感動体験というはなしをしているんですが、ただ事業を作るだけだったらどこでもできると思っています。そこにその地域の文脈やそこに住む人たちのはなしがプラスされるからこそ、その場所に足を運ぶ意味があると思うんです。

全国いろいろなところにグランピングの施設があるけど、「わざわざ海士町を選んだ理由ってどこなの?」というところを作れて初めて市場を作れているという状態だと思うので、そこが面白さだと思っています。

海で泳ぐ場合も、どこの海でも変わらないよねというはなしの中で、そうじゃないものが見えてくるということですよね。

そうですね。コミュニティ自体が自分自身にこういう風にコミットしていきたいみたいな自発的な集合体になって、それがひとつのまちや行政単位で、目掛けている未来に対して進み続ける状態でありたいと思っているんですよね。

事業を作り続けた上で、じゃあその先どうなるの?というところで、僕はこのまちをこうしていきたい、その集合体の熱量がまちや行政の垣根を越えて広がっていってこういう未来を作りたいよねということに対して、ことを進めていくのが理想の地域の形だなと思っています。

海士町の人口が2000人と言っていましたけど、行政にしても同じような事業をやってる方にしても、他のまちでいろいろなことをやっている人との距離感が近いからこそ、いろいろなことができるということなんですかね?

地域において、まちの名前は近いと思うんですよ。東京の人って東京のためにやらないじゃないですか。海士町って名前がなくなったら、海士町の­アイデンティティはなくなってしまうと思います。まちとの近さがあると思うので、そこに対して自分自身が作っていきたいとか、自分がこのまちをこうしていきたいんだという思いがあればあるほどいいと思っています。それが前向きな未来に繋がっていくと思います。

豊後高田市、三条市、海士町と比べると、海士町は一番小さいコミュニティだと思うんですが、地域性をより身近に感じるものなんですか?比較することは難しいと思うんですけど、先程のおはなしだと海士町の方の方が地域のことを考えられているということなんでしょうか?

そう思います。地域的な特性もあると思うんですけど、例えば豊後高田市や三条市は隣の市と面しているので、このまちが合わなければ隣のまちに住めばいいやとなりがちなんですね。でも離島で、島がひとつのまちなのでその環境で育つアイデンティティは他の地域に比べると強いと思います。ベースラインの熱量が違いますし、さらにそこに200/2000人、移住してきた人がいることで熱量の相乗効果が生まれていると思います。

私は埼玉県民ですけど、いつでも東京にでれてしまうので魅力を発見しづらいので、埼玉県民は郷土愛がない人が多い気がしますね。たしかに離島だとそこを好きになる以外選択肢はないんだろうなと思いますね。
この3つの地域で見たときに、そこでずっと暮らしてきた20代の人たちのキャリア感やエリアで働くことへの考え方に差を感じることはありましたか?

どこの場所も一定数は、地元を出ていってもいいと考えていると思います。出ることもひとつの選択肢だと思って暮らしている人とずっと地元に暮らそうと思っている人がいて、その割合でいうと海士町の場合は残ろうと思っている人の方が多いように感じます。一方で地元に残ることに大きな意味はないと思っていて、この場所で何をするのかが大事だなと思います。

もともとその地域に住んでいた人たちが、夏川戸さんやファンディングベース社のみなさんと関わりを持つことで、その地域の可能性を感じると思います。一方で、自分はもう少しこういうことを他の場所でしたいという影響を受ける人もいると思うんですが、夏川戸さんがお会いした人の中で、変化があったと思う方はいらっしゃいましたか?

豊後高田市の高校生たちがそうですね。最初会ったときは、豊後高田市を出たいと言っていた子どもたちが、最後は結果的にはまちを出てしまうんですけど、まちを変えられる人になるためにスキルを学ぶために外に出たいという意識に変わりました。

逃げではなくて、攻めに転じたわけですね。

おっしゃる通りですね!なぜこのような変化が生まれたかとというと、そのまちをフィールドに原体験を作ったときにそのまちを根本的に好きになっていったというのがひとつ。一方で、他の事業やファンディングベース社のはなしを聞いたときに、「まちってこういう風に変えられるんだ!」と感じて外に出ようという選択をしていったというのがひとつですね。

僕としてはそこのきっかけを与えただけにすぎないなくて、その子たちが歩みたい人生を生きてくれたらいいと思っています。子どもたちが育ったまちに対してどういう印象を持つかはそこに住んでいる大人の責任だと思っているので、魅力的なまちを作ったら、子どもたちも帰ってくると思っています。僕らが事業をすることも大事だと思いますが、ベースとして地域の大人たちが子どもたちに尊敬されているかは大きいと思うんです。

そのまちの魅力って、そこにいる大人たちの魅力につながっている部分が大きいんですかね?

そうだと思います。子どもたちにも「君たちもその一員だよ」とはなしています。

逃げで出ていくわけではないと小林も言っていましたが、都会に行ってみたいというはなしは一定数あるにせよ、地元が好きな状態で行くのとそうでないのとでは出ていく目的がだいぶ違いますよね。
人材紹介ビジネスをやっていた身としては、いい転職の仕方やいい退職の仕方と似ている気がしますね。文句を言って理由をつけて退職していく人ってなかなか厳しい人生になってしまうんですけど、なにかしらのポジティブな理由を持っていく人って次が楽しくて、戻ってこなかったとしても何か身に着けるものがあるんですよね。それに通ずるものを感じました。

移住先での自分の役割を見つけて、フリーライドしない移住生活を

地方で働くと言ったときに、地方で働くときに仕事があるかないかってとても大きな問題だと思いました。三条市などでは地域で仕事を作ることも行っていたんですか?

三条市のときでいうと、すでにある仕事をどう魅力化していくかというところがキーポイントだったと思います。例えば、新規事業を作ってそこに採用枠を充てましょうということをしたいんですけど、一方で地域にそんなに人材が来るのかという懸念もあります。既存の採用枠でこんな未来が作れるよねというところと移住者側のポテンシャルをマッチさせるということはやっていましたね。

仕事を作るというよりは、既存の仕事に興味を持ってもらって、そこをベースにしていくということなんですね。

行政単位でも一律にやっているし、企業支援金などの補助金もあるので、自分で地域での仕事を作る人も一定はいるんですよね。そういう志向ではない人たちが移住に踏み切れないので、そこをサポートするという形ですね。その人たちのフィールドをどう用意するか、なるべく基盤が安定した上で、新しいものを作る余白があることが一番だよねと思っています。

とても現実的なやり方ですね。夢見て移住をしても甘くはないと思うので、まずは現実的に基盤を作ってということが大事になりますよね。

豊後高田市のときに、自分でPLを見ながら採用のはなしなどを進めていたので、そこがいい経験になりましたね。事業土台がしっかりしているところの方がいろいろなことに挑戦できるよねとか。自分でひとつ経営をしてみるというのは大きな経験でしたね。

移住をしたいという人が一定数いると思うんですが、移住が合う人、合わない人というのはあるんですか?

あると思いますね。感覚的なはなしですが、人の地域差もあると思います。地域によって風土が違うので、僕の地元の北東北の人は寡黙な人が多いんですけど、九州はおしゃべりな人が多いとか。しゃべる内容も地域性があって、これは僕の感覚なんですけど、九州の人がいう「できる」の判断ラインが120〜150%のはなしをしていて、そもそも自分の裁量を超えている場合でもできるって言っちゃうみたいな(笑) 東北の人は、70〜80%できたとしても「できない」って言うような感覚なんですよね。

あとは人に何かをしてもらってばかりの人は難しいかもしれないですね。何かしてもらった恩や義理を何かで返そうという気持ちがないと地域に馴染んでいかないんじゃないかなと思います。

距離感の近さが大きいですよね。
今回は移住策に関するビジネスのおはなしが多かったと思うんですが、最後に夏川戸さんからこれから移住したい人に向けて何かメッセージがあればお願いします。

地域の余白と自分が見たい社会ややりたいことをどう重ねられるかかなと思っています。全員が起業家である必要はないんですけど、ちゃんと自分のやりたいことや見たいこと、成し遂げたいことを重ね合わせてフィックスして進められるといいですね。

地域に逃げてくるな!と(笑) ちゃんと人生を考えて来てくださいということですね。

ただ移住してくればいいよという時代はもう終わっていると思うので、移住した上でこのコミュニティに対して何をやるのかを考えることが大事だと思います。

このまちを育てようくらいの気持ちで、どのまちを育てようかくらいの気概を持ってほしいということですね。

そうですね、そのまちのどの部分を自分が担当するかは決めてもらって問題ないので、そこにフリーライドしないでほしいなと思います。

夏川戸さんも気がついたら、外の人からみて地域の人になっているんじゃないかと思います(笑)
きっとこれからもどんどん地域愛が強くなっていくんでしょうね。2週に渡って本当に貴重なおはなしをありがとうございました!

〜第10回目の「いろいろTV」を終えた青木の振り返り

夏川戸さんのお話をお聞きし、地方創生や移住という言葉を耳にする機会は多いですが、時間のかかる大変な活動だなと関わり続けられている方の想いの強さを少し想像できました。『いろいろらいん』をこういった文脈で利用いただく機会も増えていることもあり、2回にわたり、夏川戸さんの活動とその背景にある想いを聞くことができ、とても良いインプットになりました。ありがとうございました。