いろいろ社の「いろいろTV」はいろいろ社 代表の青木が気になる人に、いろいろなおはなしをお聞きするオンライン番組です。
第38回目は、ゲストに株式会社QURU代表取締役の内島来さんをお迎えして、直近のお仕事や今後の展望について、いろいろおはなしをお聞きしました!
目次
40代の変化と起業の経緯
すごいですね。2年もやっているんですね。
はい。内島来(きたる)と言います。僕は長崎市生まれで、今年40歳になりました。前厄ですね。趣味は食べることと、サッカーが好きです。今は福岡に住んでいますが、週末は長崎に帰り、サッカーを観たり、といった生活をしています。
経歴は新卒でTVCMの制作会社に入り東京で働き始めました。1社目がAOI Proという会社で、8年ほど勤務した後に、こちらも東京の会社ですがPOOLという会社に転職をしました。そして2023年7月からQURUという会社を立ち上げて福岡でやってます。
青木さんの経歴を見ていたら、青木さんも起業されたのが同じような年齢だったので、40歳っていろいろあるんだなぁ、と思いました。
独立してあまり経っていないのと、前職と近い仕事をしているということもあり、そのあたりの紹介をさせていただきます。
POOLは、30人くらいの規模の会社で、企業のブランディングやプロモーションをやっていました。例えば、DAISOのロゴや店内の装飾や販促ツールの制作、MIXIのリブランディング、ハンバーグ屋の企画・出資なんかもやっていました。また、STARBUCKSさんとも一緒にやっていて、フラペチーノの企画やデザインを作ったりもしていました。
POOLは博報堂を退職した人たちがバラバラと集まって作ったという経緯もあり、一般的なCM企画やグラフィック広告の制作などが得意でした。その他には、都市開発やホテルのブランディングなどもやっていました。
僕は同じような内容でPOOL KYUSHUで働いた後、去年から九州で独立しています。
大分県の麦焼酎の二階堂と商品開発を一緒にやらせてもらったり、西日本で一番の農業・園芸の会社のリブランディング、病院のリブランディング、北九州にある産業用ロボットのシェアが日本2位の会社が作るロボットのデザインなどにも携わっています。
あとは福岡県の自治体のふるさと納税のプロモーションの企画もやっています。
いろいろ重なったのですが、まずは年齢的に40歳という変化の歳となったこと、一昨年入籍したということもありまして、そういう意味でも生活が今後変わっていくということもあるタイミングを感じたこと。
また、仕事面ではPOOL KYUSHUを福岡に立ち上げたのが3年ちょっと前で、ある程度売上も上がり、目標としていた成果にまで達した、ということもあり、そろそろかなぁ、という思いでした。
POOLの福岡支社ではあったものの、九州の仕事をしていきたいという想いが強くなったという感じです。
POOLは東京に本社がありますので、福岡を拠点としつつも、東京の仕事に入ったり、ということもありました。それが嫌だということでもないですし、それはそれで楽しかったのですが、もっと九州にコミットしたいな、という想いです。
それで起業した、という流れです。
そうですね。僕はたぶん円満だと思ってますね。退職したあとに結婚式をやったのですが、みんな来てくれましたし、今も業務委託で仕事をしていたりと、仲良くやらせていただいてます。
どこの業界も一緒だと思うのですが、終身雇用という考え方が薄れていく中で、同様に広告業界も独立する方が増えてきた印象はあります。大手の電通、博報堂に入ったあとに、クリエイティブをやる方は自分で企画を受けるような会社を作ったり、営業さんでもビジネス設計の会社を作ったりと、時代の流れに沿って変わっていった方もいますね。
割と事後報告でした(笑)
入籍は2022年の11月で、プロポーズは夏くらいでした。奥さんは実家が自営業ということで、お義母さんからは「あなたは絶対に会社員と結婚しなさい」と言われて育ってきたそうで、会社員と結婚するのが夢だったんですよね。そのなかで、プロポーズしてOKをもらったあとに、「会社やめようと思うんだよね」と話したので、ひと悶着ありました(笑)
家族以外についてもほとんど事後報告でしたね。決めたあとに話したり、ですね。
会社の名前は自分を振り返ったりこれから先のこと、やりたいことやパーソナルなことなどいろいろと考えました。机に向かって考えるというよりは、思いついたままにバーっとメモして書き溜めて、まずは奥さんに話しました。「ちょっとどう思う?」という感じで。
それで候補を絞ったあとに、前の会社のコピーライター4人に集まってもらって、お酒を飲みながら意見を聞いて、絞っていきました。
理由はいくつかあるのですが、僕の名前が「来(きたる)」というのが一つです。自分の名前は覚えてもらいやすいし、あまりいないので、そういう意味で気に入っています。それをヒントにしたいと思いました。
最初は「来々軒」にしようとかとも考えていました(笑)
長崎なので、「株式会社ちゃんぽん」というのも候補にありました。いろいろとゴチャゴチャ混ぜていきながら作る、というのが合っているかなとも思っていました。この話をしたら、前の会社の社長が、俺も候補があってさ、「ハンバーグ」ってどうかな、と意見をくれたりもしました。「銀行で株式会社ハンバーグの◯◯さんって呼ばれるんだよ、それか、株式会社ちゃんぽんの◯◯さんって。これって結構恥ずかしいよね(笑)」って言われたりして。そんなちょっとふざけた話なんかもしつつでした。
自分の名前以外の理由としては、「いろんなものがやってくる」という意味も込めています。僕の仕事は1人では出来ないです。僕自身はコピーライターでもデザイナーでもなくて、企画はするものの、プロジェクトマネジメントやプロデューサーという立場として取りまとめながら進めていくという側面が強いです。だから、「人が来る」という意味も込めたいなと思いました。最初はQURUではなくKURUで考えていたのです。ただ、最近は世の中的に「答え」を出すのではなく、答えの手前の「課題」を考えるところの方が必要とされているなと思い、その意味でQuestionのQを入れました。
こんな想いを込めた社名ですね。
はい。大丈夫でした。
でも、青木さんのところの社名って素敵ですよね。「いろいろ」だと何やってもいいじゃないですか。いろいろやってそうだし、名前からわくわくするし。悪いことしても「いろいろ株式会社なんで!」って乗り越えられそうな(笑)
QURUの事業と独立してからの変化
いくつかありますが、地域商社設立なんかはまだビジネスになっていなくて、個人的にやりたいことの1つです。
地域って地方創生であるとか、国からお金をもらってなにかいろいろやったりますが、結局街で循環されてないなと感じています。何かを作るために街がお金をもらうのですが、それをするために東京の会社に相談する、ということがあったりします。結果としてモノは街に残るのですが、街の中で循環していなくて、外に出ていってしまっているなと。
観光に行っても、なんか違和感のある地方ってあったりするじゃないですか。つながりのない感じというか。
そうではなくて、街が自走するための仕組みを産んでいかないといけないと思っています。そんなことに携われたらいいなと思っています。
うーん…。僕は大学のときに上京して、20代のときは一生東京にいるだろうなと思っていました。当時は独立しようという気持ちもなかったですし、この会社でどうやって上に向かっていこうと考えていました。
でも20代後半に、ある程度仕事を任されるようになってきて、「このままでいいのだろうか」という思いがふつふつと湧いてきました。結婚して、子どもが生まれて、と今後のことを考えたときに、東京のビルの真ん中で子育てをするイメージがわかなかったんですよね。カブトムシも取りに行きたいし、釣りもしたいし。それで長崎に帰りたいなと。
でも、九州に帰って何しようって考えたんですよね。CMの会社にいたし映像は作れるけど、九州にも有名な人も会社もあるなと。それだけだと物足りない。そう思って転職を考えました。
映像以外に、WEBサイト制作や映像に限らない撮影も含んでいろいろやれたほうがパワーアップできるなと思いました。それでPOOLに転職し、企業ブランディングや都市開発など、領域が広がりました。もちろん、右も左もわからない状態でしたから、学びながら仕事をさせてもらい、成長させてもらいましたね。
そして、POOLの九州支社として帰ってきてみたら九州が好きだという想いが身にしみて、自分がやってきたことが九州に還元されるというのは自分にとっての喜びにつながるかなと思い始め、地域商社のようなことをやってみたいな、やれそうだな、と思うようになりました。
そうですね。会社員でなくなると、上も下もいない、誰もいない、というのが新鮮でした。誰かに報告もいらなければ、誰かにお願いする必要もないんですよね。何もしなければ何も起こらないんです。会社員時代にあんなにいっぱい来ていたメールが、自分がアクションを起こさないと何も来ない。自分から動かないと、もちろん仕事も来ないし、お金も入ってこないんですよね。
僕が助かったのはPOOL九州支社をやらせてもらっていたので、いきなり独立する人に比べてハードルが低かったことです。前の会社の社長が素晴らしい方で、「独立するのもいいけど、POOLとして福岡でやってみない?」って声をかけてくださったんですよね。この経験はありがたかったです。
とはいえ、何かしないと何も始まらないですね。
だから、話し方とかを含めて、意識は変わりました。どうやったら仕事につながるのか、どうやればおもしろくなるかを考えるようになりました。
僕らの業界って分業化されていて、デザインはデザイナー、というある程度侵せない領域というのがあったりします。あまり口を出さずに任せたり、という部分ですね。でも、独立してからは僕が意見を言うこともありますし、そもそもチーム組成も前の会社に縛られず、つながりのなかで組織を作ったりもしていきます。リモート環境が整ってきたということもあり、より自由に適したチーム編成ができるようになりました。
デザイナーの方にも得意不得意はあって、例えばアップルのデザインのような削ぎ落としていく世界観が得意な方もいれば、コテコテでグラフィカルに攻めて足していくような方もいます。新しいメンバーとやると刺激も受けますし、そういう意味でも成長できているなという思いもありますね。
そうですね。
もちろん、九州以外の方ともチームを組みます。京都の方にコピーをお願いしたこともありますね。ずーっと昔に仕事をしたことがある人なのですが、「真面目に強い言葉」を産める人を探していたときに、昔のことを思い出してチーム組成したりしました。
言い方はよくないですが、コロナのおかげで社会が変わった部分はありがたい部分もあったなと思っています。
ありますね。どうしてもその業界にいると、映画でもCMでも好きなものが偏ります。広告の展示会に行ったりと、インプットするものが一緒だったりするんですよね。共通の話題が使えるので、説明も簡単だったりします。
仕事の絶対量は東京のほうがやっぱり多いですね。そうなると、場数を踏んでいる方が多いのは東京のほうが多いとは感じます。だから身近な人のつながりで紹介してもらうというケースは東京は多いですね。困ったら人に聞けば誰か見つかる、という感覚がありました。
福岡に来てからは、飲み屋で出会って「仕事をしましょう!」となることもありました。これは福岡に限らずどこでもだとは思うんですが、人と人のつながりが福岡内では少し深い、という感じはしますね。
コロナで時代は変わったこともあり、全国から仕事をもらえ、全国の仕事ができる環境になったので、東京だからリソースが多い、とかそういうことではなく、つながれるネットワークの広さのようなものや、つながれる力のほうが大事だとは感じていますね。
東京のクライアントは今はいないです。東京はたくさん人がいますので、わざわざ、という感じではないですね。
人のつながりですね。3年こっちにいたというつながりもありますし、知り合いの奥さんから相談される、とかそういうケースもありますね。同級生の弟から相談を受ける、とかもありますし。
確かに。
政令指定都市あるある、なんでしょうかね。
ニンニクにかける想い!?内島さんの野望
ブランディング、プロモーションはどうしてもクライアントワークになってしまうんですよね。それはそれで楽しくて好きなんですが、それ以外にも、何かやってみたいなとモヤモヤいろいろ考えています。
そんななかの一つで、ニンニクって良いなって思ってます。
これです。仕事の関係で福岡県大川市にちょこちょこ行くんですが、市役所の方にニンニク農家さんを紹介してもらって、今年からお邪魔してまして、無農薬ニンニクの畑のお手伝いを少しさせてもらっています。今年の10月から畑を借りて自分でもやってみたいと思ってます。
受注産業ではない部分でなにかやれたら良いなと思ってます。
そういうことです。今まで身につけたことでなにかできないかなって。
一次産業というか、六次産業に移行して、加工品も含めて売っていくようにできたら良いなと思っています。
専門ではなく、お米を作って、その入れ替わり時期にニンニクをやっていらっしゃる農家さんです。生産量は大きなところと比べると少ないです。
ニンニQというか、229というか、クルファームというか。そういうのをやろうかなと。
そうですね。それがモノゴトの入口です。ラーメン二郎、餃子など…。ニンニクが入ってればなんでもうまくなるんじゃないかと思ってます。
ニンニクは収穫してから1ヶ月干して市場に出回るので鮮度は違いますね。有機かどうかは味に違いがあまりないかもしれないと個人的には思っています。
でも、味を数値化して、例えば「肉専用ニンニク」とか、個性を立たせるブランディングをしたいなと思ってます。大学などを巻き込みたいですね。
分かりやすく言えば、イチゴなんかは甘みや酸味など、産地や品種で分類されたりしていますが、そういうことがしたいですね。畑の中にラーメン二郎ができたら良いな〜なんて思ってたりします。
福岡の大川市は家具産業が盛んですが、イケアを始めとした輸入家具に押されて売上は下がってきているので、事業軸をもう一つ考えるという話もあり、市役所の人に「ニンニクどうっすか!?」って言い続けてきたんですが、なかなか動かないので、だったら農家さんを紹介してもらってやってみよう、という流れで、今に至る感じです。
そうなんです。頭のなかでもやもやを考えてました。ニンニクシティ大川、みたいな。イチゴの街◯◯よりもパワーワードだなって(笑)。ここに来たらなにも気にせずにニンニクを食べましょう、みたいなね。
いやぁ、ニンニクのことを考え始めてからはニンニクから離れられなくなってしまってますね。だからとりあえず、まずはニンニクだなって。
ワインのボジョレーヌーボーみたいに、2025のニンニク!とか、そういうのいいな〜って。2025のニンニク解禁します!みたいな(笑)。今年は例年より匂いが強めです、みたいな記者会見もしたいですね。
ニンニクが成長した頃にまたぜひ…。
〜第38回目の「いろいろTV」を終えた青木の振り返り〜
いつも視聴いただき、ありがとうございます!
『いろいろTV』の開始当初に出演いただいた内島さん。
ご結婚され、QURU社を立ち上げられといろいろな変化があったこともお聞きでき、『いろいろTV』を続けているとこんなこともあるんだと新たな発見でした(笑)。
次回、お話をお聞きする機会があれば、ニンニクの話をお聞きできそうで、とても楽しみです!