いろいろ社の「いろいろTV」はいろいろ社 代表の青木大一郎が気になる人に、いろいろなおはなしをお聞きするオンライン番組です。
第41回目は、ゲストに福岡平飼い養鶏場 あかね農場 農場主の山﨑登希代さんをお迎えして、養鶏を始めたきっかけや、養鶏に対する想いなど、いろいろおはなしをお聞きしました!

目次
本能に向き合う農場


よろしくお願いします!


はい!28歳二児の母、タケノファーム株式会社というところで福岡平飼いたまごのあかね農場の農場長を勤めています山﨑登希代(やまさきみきよ)と申します。よろしくお願いします。


あかね農場は、日本では認知度が低い「平飼い」という飼い方をしている農場です。
鶏の飼い方には2種類あり、1つは「ケージ飼い」という一般的な方法ですね。ケージの中に鶏が入っていて、そこで鶏を育てる方法です。「ケージ飼い」の鶏はA4サイズくらいのケージで育てられ、経済寿命(効率的に産卵できる寿命)がくるまでをそこで暮らすことになります。
その正反対にあるのが、「平飼い」という飼い方です。今の日本だと1〜5%と言われています。
地面でそのまま飼う飼い方です。地面はコンクリートじゃなきゃいけない、野放しじゃなきゃいけないという規制はないのですが、1平米あたり11羽未満を平飼いとして推奨しています(農林水産省『アニマルウェルフェアの考え方に対応した採卵鶏の飼養管理指針(2021年版)』)。
実は鶏も人間と同じで、広いところで自由に動きたいという欲求があり、狭いところに閉じ込められるとストレスがたまると考えられています。
「平飼い」の良いところは、鶏が健康的に暮らせるというだけでなく、卵の味や鶏舎の匂いに影響があると言われています。私たちが「平飼い」を選択するのは、鶏さんにも健康に過ごせるという良さがあり、消費者の方にも美味しい卵を食べられるという良さがあり、三方良しの状態が実現できる飼い方だと考えているからです。



そうです!日本はケージ飼いが一般的なのですが、平飼いが当たり前の世界でも良いのではないかと思って、平飼いを始めました!


いえ、違います。
鶏さんたちは、好きなときにご飯を食べ、好きなときに水を飲み、好きなときに寝て、好きなときにお風呂に入り、好きなときに自由に動いて、好きなときに仲間と突きあって遊ぶ、というような環境です!
命ある生き物なので、「生きる権利を尊重する」というと上から目線で偉そうになってしまうのですが、人間の「鶏はこうあるべき」というエゴを押し付けるのではなく、鶏が鶏らしく生きるために生態系に合わせて、例えば、鶏はどんなときにどんなふうに寝るのかな、ということに合わせるような、鶏本来の生き方に沿った育て方ができればと考えています。
鶏って高いところに止まって寝る生き物なんです。カラスとかスズメとかは電線に止まっていたりしますよね。鳥類は止まり木がないと本来は不安で眠れない生き物なんです。
他にも、体を清潔にするためにはお風呂が必要で、鶏は砂浴びをするものなんです。なので、あかね農場では、砂に加えて、ダンプ13台分くらいのもみ殻を敷いていて、砂浴びをすることで汚れや虫を落とせるという環境にしています。このような鶏本来の習性に合わせた環境を作るようにしています。
安全に寝たい、体を清潔にしたい、美味しいものを食べたい、きれいな水を飲みたいといった鶏の生理的な欲求を満たせるような状態を作っています。



さすがに遊具とかはないですが、いろいろ設置してますね。広さとしては敷地全体で東京ドーム2個分の土地ですね。


あとは、卵を産む場所も重要なんです。
鶏が無人島にいたら、守備力も攻撃力もないので、一番に狙われる弱い生き物なんです。無人島に鶏がいて、人間がいて、ライオンがいて、なんて環境だったらもちろん弱くて、食べ物にするなら一番捕まえやすいわけです。生物的なヒエラルキーの中では一番最弱層に位置します。私はそれが愛おしいところだったりするんですけどね(笑)
だから、守ってあげないといろんなものから狙われるんです。イノシシだったり、イタチだったり、テンだったり、アライグマだったり…。本当に狙われます。
でも鶏たちも自分たちが狙われている弱い生き物だということを認識しています。卵は命じゃないですか。子孫を残すための。
だから、鶏たちには、暗くて狭くて、できるだけすみっこで産みたいという本能があるんです。そのため、だだっ広いだけが良いのではなく、暗くて狭くて、ここで良いの?って思うような産卵箱を作ってあげないと安心して卵を生むことができないんですよ。安心できる清潔な産卵箱を整えてあげるというのも大切なポイントの一つだと考えています。



そうなんですよ!私はそれを見てるのが好きすぎて、スタッフからも「あいつが鶏舎に行くと帰ってこないぞ」と言われてたりします(笑)
あかね農場には、7000羽の鶏がいるんですが、みんなが一緒に入れるような産卵箱じゃないので、順番待ちしてたりするんです。人間がトイレの順番待ちみたいな感じで。
次は私!ちょっと出てよね!みたいな争いとかもあったりして。それが微笑ましいんですよね。そうまでしてそこで産みたいのかって(笑)
本能でそういう動作をしているだけなので、私が「ここで産むのよ!ここで寝るのよ!」と教えているわけではないです。


今はあかね農場のその役割は番犬が担ってます!


ピットブルが番犬です。私も変わり者で、変わった犬が好きでして(笑)


本来は人間が見て回らなくても鶏を守ることができる施設でないといけないです。
鶏のところにイタチが入ってしまうと…、イタチは本当に養鶏家からすると悪質です。鶏舎というのはイタチにとっては本当に食べ放題のレストランなんです。だから1匹入られてしまうと一気に一棟全滅したりします。
去年の秋に毎日10羽くらいやられてて、どこから入ったかもわからないのです。穴もないし隙間もないんです。1箇所だけ見つけたのは、すごく深く土を掘って外からトンネルを作り、侵入していました。だから、すごく下までコンクリートを流し込まないといけない、といった設備に対する投資が必要になったりもしています。
人間の見回りには限界があり、正直、人間の見回りは私が趣味でやっているだけです。本来は設備でどうにかしないといけないものです。


動物がたくさん来ていた時期は、イノシシも来ていました。鶏の餌はとうもろこしを含んでいるので、それを求めてドシーン!と体当たりで扉を破壊します。
破壊された扉からイタチがヒュンヒュンと入って、鶏を食べ、持って帰ります。そうして朝には首のない鶏の死体があちこちに落ちていたりといったことが起きました。
本当に辛くて、落ち込んで泣いていました。鶏舎の修繕はもちろんしますが、それでもまた壊されてしまい、いたちごっこでした。
なので、最初は自分が鶏舎に寝泊まりしたりもしました。



はい。鶏舎の外にテントを張って、私が守ってやる!って(笑)


今思うと私も何考えてたんでしょうね。私がいたところで、イノシシが来たときに何ができるんだって話ですよね(笑)


実際にアニマルカメラにはイノシシやタヌキが暗闇の中歩いて来ている様子が映っていたのですが、せっかく寝泊まりしていても、人間は夜は眠いので寝ちゃってて(笑)
無駄な労力だったなと思い、犬を飼いました。
犬を飼うようになって、犬がマーキングするようになると動物が来なくなりました。


カメラを仕掛けているところにイノシシが来ていて、そこで犬が応戦しているところが撮影されていたりもしました。普段はずっと寝ているだけなんですが、頼もしいんですよね。
自分のエリア、テリトリーに他の動物が入ってくることが許せないという本能で、鶏を守っているという意識はないんだとは思うんですけどね。
いろいろありましたが、やっと一段落つきました。

養鶏家を志したきっかけ


はい!えーと、どこから話しましょうかね?


私はもともと鶏が大好きで養鶏家を始めたわけではなかったです。
生き物が大好きで、家には犬も猫も爬虫類もいる環境で、人も好きでした。生きてるものに対して、自分と違うところを感じることがとにかく好きなんです。猫ってここ触れたら何で気持ちいいんだろう、とか。変態チックですが(笑)
なので、もともと生き物全般が好きなんですね。カエルもイモムシも。どうしてこの卵から美しい模様の蝶が生まれるんだろう、と思って、幼虫を持って帰ってきて羽化するまでを見ているような小学生でした。興味が湧いたらとことん、という感じで、ハマり症というんですかね。そういう性格でもありました。
それとは全く別の視点で、食べ物、特に卵がとにかく好きな子どもでした。
裕福な家ではなく、母子家庭で4人姉妹でした。私は長女で、妹がいて、双子の妹がいて、という家族構成です。母は本当に大変だったろうなと思います。女手一つで。
貧しくて苦しかった記憶はあまりないですが、休みの日も学生服で過ごすくらい服を持たなかったですし、テレビもエアコンもなかったですし、夏の暑い時期は扇風機1台を取り合うような生活でした。
金銭的に恵まれていなかったこともあって、卵は貴重品でした。卵1個を割って溶いて4人で分け合うのが、我が家の卵かけご飯でした。ある程度大きくなるまでそれが当たり前だと思っていたのですが、テレビやよそのご家庭で、ごはんの上に卵をパカッと割るのを見て、あれが卵かけご飯なんだ!と気付き、私もあれをやりたい!と思ったのが野望の始まりです。
地元の高校を出てすぐ就職して、仕事を始めてから美味しい卵への執着が始まり、全国から美味しい卵を取り寄せるようになりました。


食べ比べてるつもりはなくて。卵が冷蔵庫から切れるたびにGoogleで美味しい卵と検索して、食べたことがない卵を上から順番に手を付けていきました。
そうして全国の美味しい卵を食べているうちに、卵に違いがあることに気が付きました。味、違うじゃん!って。
卵の見た目も違いますし、なんで黄身の色が違うんだろうとか、なんで味が違うんだろうとか、なんでサイズが違うんだろうとか、なんでなんでがたくさんになりました。
卵巡りから、養鶏場巡りに変わったんです!


はい、全く。養鶏家のことも知らなかったです。
ハングリー精神みたいなものが人一倍あって、「生きる力」みたいなものには興味が湧く生い立ちだったかなと思います。だから、「食品」や「作る」ことに興味はありました。野菜やお米を食べるときも、生産地が思い浮かぶ、というような感覚はずっとありましたね。


そうですね。今思うと、よく受け入れてくれたな、という養鶏家さんばかりです。感謝しかないです。
お米って、車で通っていれば田んぼが見えますし、野菜もそうですよね。でも、私、養鶏ってやってるところを見たことがなくて。
だからどういうところで卵が産まれているか、純粋に興味がありました。
一番最初は大分県の養鶏場さんで、10分くらいの場所まで行って「いま近くまで来てるんです!見させてください!」って20歳の頃に電話したのが始まりです。


そうです。平飼いというのを初めて知った卵です。
いろんな卵を食べていく中で、美味しいとは思うものの、「また食べたい卵」と「もういいかなという卵」があることに気付きました。「また食べたい卵」のトップ5は、全部平飼いだったんです。
気づいてしまった!私は平飼いが良いんだ!と思ったんです。
あとあと、平飼いだけが美味しさの条件ではないことがわかったんですが、平飼いに秘密が隠されているはずだと思って、その平飼いの農場の行ってみたくなって、当時は第2子を妊娠中でしたが、1歳の子どもも連れて、行きました。
急に電話しましたが、そこの養鶏家さんが「おいで」と歓迎してくださいました。ご高齢の夫婦でされている養鶏場で、環境はこうやって作って、餌はこうやってあげるんだよって教えてくださったんです。


そうです。成人式を終えてすぐのような感じですね。



最初に訪ねた養鶏家さんで、生産者に触れ、人に触れてしまったんです。
こんな人たちが作っているんだ!こんな人たちが作っている卵なら一生食べたいな!という出会いをしてしまったんです。
それからというもの、美味しい卵を作る人という観点で人に触れてみたくなったんです。卵というのは鶏が産む以前に、人がお世話して作っているものなんだと、つくり手である養鶏家に興味を持ったんです。
でも、子育て世代の自分が仕事をしながら養鶏家さんのところに直接行くのはなかなか厳しいものもあり、SNSで連絡を取ってから行くようになりました。急に行くようなホラーのようなことはしなくなりました(笑)


会いに行く、人の魅力に触れる、というところに興味を持っていました。
養鶏家さんの中には、卵を注文したときに卵だけじゃなくてパンフレットを入れてくださる方もいて。パンフレットには「こういう想いで作ってます」「こういう想いで養鶏場を立ち上げました、受け継ぎました」みたいなことも書いてあったりします。
なんかすごく心に刺さるものがありすぎて、それに触れに行くというのが趣味だった時期がありました。
それで、自然と養鶏家に憧れを持つようになりました。こんなかっこいい仕事があるんだったら、「私養鶏家になりたい!」って。
養鶏家に至る道


なれないものだったんです。だから、なりたいという時期が長かったですね。
どうすればなれるかという情報が全く無くて、だから、養鶏家になった方たちに「どうやって養鶏家になったんですか?」って聞いて回っていたんです。
養鶏家さんに憧れてコミュニケーションをしているうちに、先生みたいな人が増えていきました。「養鶏のことならなんでも聞いてね」、「養鶏を始めたら自分を頼ってね」という人が出てきてくれて。本当に運が良かったです。
その中で「普及センター」という、生産者になりたい人が行く場所を教えてもらいました。さっそく、身一つで「私は養鶏家になりたいんです!」って普及センターに行きましたが、相手にしてもらえませんでした。
事業計画がないと無理ですと言われたら、自分なりに事業計画を作って持っていくなど何度も通いました。「あなたは週3でパートをしていたほうが良いのよ」と返されることもありました。
「その若さでね、子育て世代でね、経験もなくてね、お金もなくてね、養鶏家なんてやるべきじゃないのよ」って、本当にこんな言い方をされるんです。
でも普及センターの方が悪いんじゃなくて、その時の私にはそうやって言ってもらった方が良かったんだって、今は思います。あの時に養鶏家になってたら、絶対に養鶏を嫌いになってたと思うんです。
今までで一番やりたいと思ったことを否定されて、それが悔しくて悔しくて、だから自分で始めたんです。


自分の家の庭に自分で鶏舎を作って、有精卵を買ってきて、孵化器を設置して。
何度で何日温めたら孵化するという情報を探して、図書館から本を借りて読み漁って。そこからスタートしました。



もう本当にそうです。大きな一歩はないということがわかって、小さな一歩から投資してやってみる、絶対認めさせる!という気持ちがあり、それが良いガソリンになりました。
孵化は何回も失敗しました。でもその気持ちがあったから諦めませんでしたし、ひよこから育成することも経験できました。
鶏舎を立てることもYouTubeでDIYの動画を検索して、それを参考に作りましたし。そこで実際にひよこを育てたので、ひよこを育てる苦労もわかりました。やらなきゃわからないことっていっぱいあって。
その中で、費用がどれくらいかかって、いくらくらいで卵を売ったらどれくらいの利益が出るのかが、小さい規模ながらもなんとなく計算できるようになって。
最初は8羽の養鶏からスタートしましたが、8羽を100倍すれば、800羽がわかるじゃないですか。全く正確ではないかもしれないけれど、固定費や変動費が8羽分でわかれば、それを100倍して事業計画書にしてみよう、ということができるようになってきました。


農ある暮らしがしたいのか、それとも生業としてやっていきたいのか、というギャップを教えてもらいました。
その時の私はただの情熱を持っているだけで、鶏が好き、卵が好き、というだけでした。
普及センターは農業に携わる人を幸せにする責任があるので、普及センターの人からすると「ただペットとして鶏を飼うだけで良いんじゃない?」ということだったんですよね。
だけど、私はこれまでに会ってきた養鶏家さんと同じように、感動や美味しさを消費者に伝えたい!という想いを持っていたんです。自分のできることと、自分がやりたいことに大きなギャップがあったんです。
だから実際にやってみることで、お金がかかることも実感したし、利益はあまり残らないんだという普及センターの方たちの教えがわかるようになって、スタートしていくことができました。


だいたい3年くらいです。それで生計をたてられることはなかったですが、飼料の研究はできました。
こういう餌をあげたらこういう鶏になって、こういう健康状態になるといった研究ができました。
とてもいい経験でした。いきなり事業をやって失敗するのは、なかなか許されることではないですし。ペットとして飼う範囲であれば許される範囲でしたし、とれた卵は「養鶏をしてます!」という手土産としても良かったです。
「養鶏がしたい!」「養鶏がしたい!」「私、養鶏家になりたくてDIYもしました!」って言って回って、SNSでも発信し続けていたら、ある時、近所の方が養鶏家の方を紹介してくださったんです。
当時のあかね農場のオーナーで、事業継承をする相手を探しているという話だったんです!!!
たまたま私の近所にいて、私をかわいがってくれてた方が、たまたま事業継承をしようとしているタイミングの知人がいてそれを繋いでくださったんです!その結果が、今の農場と農場長という役割です。もう、本当に運ですよね!


面白い人生が始まった感じがしました!
あかねの虜と農場の今後について


あかね農場のPRポイントはそこです!
動物福祉第一で、鶏が健康でいられるから良い!という話ではないと思うんです。動物福祉を大切にしているというのは大前提ですが、消費者さんが求めるのは食べ物として、「美味しい」という価値です。商品開発の段階で、料理人さんにブラインドで食べてもらったりして、そこで気付きました。
それまでは自己満足で鶏さんたちさえ元気に食べてくれればいいと思って、飼料配合をしていたと感じています。ある飲食店の社長さんから「君のやっていることはエゴだ。平飼いを広めたいと言っているのにこんなんじゃ広まらないよ!」とお叱りを受けたことがあるんです。「味を追求しなさい」と。
だから今は味を整えるため、昆布や魚粉、腸内環境を整えるためのヨモギを入れています。魚と昆布は出汁・旨味成分ですから、食べさせることで旨味とコクが増すんです。
でも、入れればいいというわけじゃなくて。ドサドサ入れてみたこともあったのですが、そうすると卵の味は美味しくても、鼻を抜けるときに生臭さが残るんです。
口に入れた際の最初から最後まで美味しい卵にはならず、結果「また食べたい卵」にはなれないんです。生で食べるとわかるんですよね。
それで飼料の配合を1%単位で変えて、上げたり下げたりしながら調整して、やっとあかねの虜にたどり着いたんです。



あかねの虜としてブランドをリリースしてから、配合を変えていないです!飼料の研究開発用に100羽だけ別棟で育てていますが、あかねの虜は飼料を固定しています。


あかね農場では、全く違う生産ラインをするのは今のところ難しいなと思っています。
卵は見た目が一緒なので、同じ場所で育ててしまうと見分けがつかないじゃないですか。だから、品質を保つためには、すべての餌や環境を同一条件にするというのが重要なポイントになってきます。
飼料の配合が同じであっても、まんべんなく餌が混ざることも重要で、まんべんなく混ざらないものは配合する飼料としては使えないんです。全体では配合する飼料の割合が一緒でも、食べた部分によって配合の割合が異なると味の違う卵ができてしまい、品質の違うあかねの虜になってしまうので。
粉末にして撹拌しきって食べてもらえるものにしないと、品質を管理できないんです。



こういうことも伝えていかないとな、と思っています。
業界的に若い人が参入しにくいし、わからないから参入しないとも思ってます。仕事の魅力、仕事のやり方、いろんな情報が出ていないですよね。
なので「養鶏家といえばこの人」「この人に聞けばなんでもわかるよね」というロールモデルになりたいなと思っています。
あと、8歳と6歳の子どもがいるので、お母さんだからできない!という敷居に対してもノウハウを提供できるのではないかなと思い、目標にしています!



鶏の身体的には2週間〜4週間です。
4週間はかからないので、2〜4週間としています。それは卵の味に変化が出るまでの期間と、鶏の体調に変化が出る期間では、差があると考えているからです。
飼料を変えると卵の味には割とすんなり変化が出てきます。徐々に変わるものではありますが、変化は感じられます。
ただ、人間の体質改善と同じで、例えば、水を変えても明日皮膚に変化が出るかというとそうではないと思うんです。それと一緒で、鶏の腸内環境なども4週間くらい様子を見ないとわからないです。
卵と鶏をどちらも守りたい、というところから4週間くらいは様子を見るようにしています。


おっしゃるとおりですね。軟便になっちゃったりもしますし、糞の状態が1つの指標です。奥が深いですよね。だから、今やれる精一杯をやりたいと常に思ってます。


あかねの虜で美味しさの追求をしたので、今はあかねの虜の品質を維持し続けるために何ができるのかを考えて、業務改善や経営面でのアップデート、周辺業務の調整などを頑張っているところです。
上限がない追求なので、養鶏家は求め続けていくことができる天職だと思ってます。

アフタートーク


本人が一番楽しく生きてます(笑)


柴犬とかじゃなくて、やっぱりしっかり守ってもらう、というので考えました(笑)


ぜひぜひー!!



卵拾ってくれますか?


7,000羽いるので、7,000個です。


そうなんです。いろいろ模索しました。
オスを飼うことで交配があると有精卵になりますが、品質の観点で有精卵と無精卵が混ざっているというのは良くないという判断をしました。有精卵と謳っているのに、確実に交配されたものであると言いきれないのも不誠実かなと思い、メスだけを飼っています。


生命的な寿命と、経済的な寿命があります。
生命的には7年〜10年くらい生きます。でも養鶏場として役割を果たせるのは2年です。
500日経ったくらいから、3〜4日に1回しか卵を産まず、中身が入ってなかったりカラが薄くなったりします。商品としての卵を生み出せない時間が長くなります。
だから、500日でどうするかを考えないといけないんです。
今は、肉にするという判断をしています。すごく悩みました。クラファンで資金を集めて500日以降も過ごしてもらおうか、とかいろいろ考えましたし、悩んだ時期もありました。
でも、今は考えてません。悩んでいた時期は、私に肉を食べる資格はないと思い、一時期ビーガンになったこともあります。


だって、人様がさばいた肉は食べるのに、自分の鶏は肉にできないなんておかしいじゃないですか。だから、たった3ヶ月ですが、ビーガンになりました。
そうしたら自分が体調不良になって、マインドもぐらぐらだし、ネガティブになるし、朝起きられなくて夜寝れなくて、力も入らなくて貧血にもなる、という状態になりました。動物性タンパク質の重要性に気付かされました。
だからお肉になってもらい、人間が摂取することで命を循環させていくという決断をすることにしました。


自分たちでできなくもないのですが、業者さんにお願いしています。
保健衛生法で、お肉にする場所と卵を生産する場所は分けないといけないので、同じ施設で行うことには無理があるんです。

〜第41回目の「いろいろTV」を終えた青木の振り返り〜
ひさびさの『いろいろTV』、とても楽しく、あっという間の時間でした。
自宅の庭でミニマムで始められた養鶏場の話、『あかねの虜』ブランドとして販売する卵の飼料の話などなど、鶏さんの話を聞きながら、事業という視点で話を整理するととても勉強になるエピソードが満載の充実した時間でした。
ただ、何よりも「好き」というシンプルな想いの強さから、とことんハマりながらも、お話いただく時は客観的な視点で話をされる山﨑さんのギャップもとても新鮮でした。
『あかねの虜』、本当においしいので、ぜひ、食べてみてください!