【いろいろtv_#40】FOODBOX社が考える食と農業の変革って?

いろいろ社の「いろいろTV」はいろいろ社 代表の青木が気になる人に、いろいろなおはなしをお聞きするオンライン番組です。

第40回目は、ゲストにFOODBOX株式会社の代表取締役社長の中村圭佑さんをお迎えして、ご自身のキャリアや農業の現状、農業の未来など、いろいろおはなしをお聞きしました!

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目次

FOODBOX社について

本日はよろしくお願いします。まずは中村さんの自己紹介からお願いします。

資料でお話させていただきます。

青木さんと見た目がかぶっちゃって、間違われそうですが、FOODBOXの中村と申します。

僕も青木さんと一緒で、出身は福岡です。農家の4代目候補として、生まれました。長男です。ずっと果樹農家の家で、このあとご紹介しますが、今も観光農園をやっていて、ぶどうと梨とイチゴを栽培しています。

僕の親族はお米と野菜をつくっている大きな農家がいたり、鰻屋などの飲食店をやっていたり、農業機械のメーカーがいたりと、食や農業に関わる人が多い家系です。

僕自身は人と話すことも人前に出るのも大好きで、いろいろなところに出ていくのが好きなので、一つの場所に留まる作り手には向いていないんじゃないかなと幼い頃から思っていました。

なので、生産者とは、違う形で食や農業に携わりたいと思い、大学は東京の大学の農学部に進学しました。留学をして、中国語や英語を話せるようになっていたということもあり、最初のキャリアは農薬のメーカーを選択し、7年くらい拠点設立などを経験し、その後、コンサル会社に2年勤めた後に、このFOOD BOXを2019年に起業しました。

はじめに実家の話を。

僕が実家を継がなかったので、長女である妹が経営をしています。フルトリエ中村果樹園という名前で、イチゴ、ぶどう、梨を栽培しています。

先日青木さんにも来ていただきましたが、単純にフルーツを作るだけではなくて、観光農園化して、自社で直売所を持ち、カフェもやって販売していくというような形態でやっています。 経営者が女性であるということもあり、若手も多いので、ホスピタリティにあふれるような観光農園を目指しています。

専業農家の家系なのに長男が実家を継がなかったり、それなのに同じ業界で起業していたりといろいろありますが、妹とは仲良く一緒に切磋琢磨してやっていて、時々、補助金の書類を書いてよとか、取締役会にオブザーバーで出てよ、とか、そんな相談をされたりします(笑)

次にFOODBOXですが、コンサルティングをベースとしている会社にはなっているのですが、現場寄りの案件が多いというのが特徴になっています。

我々の使命として、「つくる人から、実りあれ」と記載しているのですが、この「つくる人」というのは生産者のことだけを指すのではなく、「つくる人」を支える流通の人であったり、量販店の方であったり、農業生産から販売していくまでの幅広い人たちを指しています。

そして、「実りあれ」、というのは農業の世界ですので、作物が実ってプロダクトとして販売されていき、そこで我々はお金を得ているという構造から、持続的な経営ができなきゃいけないので、きちんと利益を残していくというようなことも意味合いとして含んでいます。

本社は東京で、私自身は東京と福岡を半分ずつくらい行ったり来たりしています。

ビジネスの内容としては大きく2つで、1つ目はフードプランニング事業と書いているのですが、いわゆる食と農業の領域に完全に特化したコンサルティングの事業で、これが現状はメインの事業となっています。

2つ目はコンサルティングの事業から派生して、FOODBOX自身のサービスを検討して進めていっているところで、これは新規事業ですね。

大まかな説明は以上です。このあとは青木さんに好きなようにツッコんでもらえればと思っています。本日はよろしくお願いします。

先日お邪魔した日は僕の誕生日でして、観光農園にも行かせていただき、そのあと、ご親族の鰻屋さんにもお伺いしたので、中村さんの親族エリアを存分に満喫させていただきました(笑)。

農家として疑問を感じた幼少期

ご実家が農家で、農家の息子として、育ったということだったのですが、振り返ってみると人とは少し違ったんだろうなとか感じることはありますか?

私の生まれた福岡県久留米市藤山町は、ほぼ八女市との境ですが、このあたりは梨の生産地です。

元々うちも梨一本の農家でしたし、周りも梨農家がいっぱいでした。梨以外では、イチゴ農家がいたりと、本当に農家さんだらけの中で育ったのは間違いないです。

現在は東京にお住まいですよね。やっぱり違いを強く感じたりしますか?

そうですね。藤山町は久留米の中でも特に田舎でしたし、その自覚は高校生くらいのときからありました。市内の高校に通っていましたが、自宅と高校で気温差が4度くらいあったり。山の方は寒いですから…(笑)

また、東京に住んで、いろいろ感じることはあったりします。

田舎育ちなので、鳥の声や虫の声が耳に自然に入ってくるみたいで、かなり音を敏感に察知するタイプだということにも気づきました。ぽつんと一軒家、というほどではないにしても、そのちょっと手前くらいの環境でしたので。

自分が農業生産者に向かないんじゃないかと思い始めたのはいつ頃からなんですか?

私の実家は結構大きい梨農家だったのですが、親父の周りの人は、僕が次の後継者だということで跡継ぎの話をするんですけど、親父は全くそれを言わなかったんですよね。めちゃくちゃ厳しい仕事だということを知っているので、継げとは言わなかったです。

母方は起業家家系で、鰻屋をはじめとした中小企業を0〜1で作るアントレプレナーシップを持った家系だったんです。

なので、絶妙なバランスの中で僕は育っていて、父方は代々続く専業農家、母方は起業家という組み合わせでした。

そういうこともあり、農家のせがれだから農業をしなければいけないという概念はなく、自分の好きなことをやりなさい、ただし、サラリーマンはつまらないよ、ということだけ刷り込まれてきました。そのため、なにか自分でやらなきゃいけないんだろうなということは幼いながらに考えていました。

ある意味恵まれていたんでしょうね。

大学は農学部に進学されたということなのですが、農業というくくりの中ではやっていきたいと考えられていたですか?

農学部の農業経済学なので、少し文系寄りではありますが、インダストリー軸は変わらなかったです。ただ、どのプレイヤーになるかと考えたときに生産者ではなかったです。

小学生ぐらいのときにすでに疑問に思っていることがありました。

親父の飲み会とかに行くと、皆さん青色申告の個人事業主なんですよね。それぞれが一国の主で、社長ですし、偉そうにしているんです(笑)。でも、従業員はいないんです。家族だけ。

それで、集まって話をしているのは、作る話ばっかりなんです。どういう栽培方法があって、何の肥料を使っている、とかそういう話はします。でも、売る話を全くしていなかったんです。

当時は売るのは誰がやってるの?と疑問に思いました。農協に出しているのはもちろん知っていましたが、それで終わりなのかな、なんでみんな売る方には興味がないのだろう、というのが疑問で、僕の出発点でもあります。

見れば見るほど疑問だらけなのに、とりあえず酒を飲んで愚痴ばっかり言ってて。こうはなりたくないな、と思ってました。小学1年生のときから水割りとかお湯割りとか作らされてましたし、タバコスパスパ、モクモクの中でした。なので、僕はタバコも吸わないです。反面教師ですね(笑)。

農家の人も社長って呼び合うんですね。新しい発見です(笑)。

そういう場合もある感じでしたね。従業員がいないのに、一国の主というか。限りなく小さいんですけどね(笑)。

FOODBOX社の起業と業務

FOODBOX起業のお話をお聞きしたいなと思います。どのような流れの中で起業することになったのですか?

僕は一貫して農業界に携わってきたことと、それ以外のこれまでの経験の掛け合わせかなと思っています。

元々は農業資材のメーカーで栽培についての専門性を持ち、中国での拠点設立でグローバルを経験し、そこで自分のスキルセットやマインドでは戦えないと知り、MBAを取りに行って経済や経営を学びました。その後にコンサルを2年間経験したことで、農業×グローバル×経営やコンサルティングという3つが掛け合わさったところかなと考えています。

なるほど、ベースの1つには農業の生産という経験があるのですね。

そうですね。資材メーカーは農作物を作らないのですが、作る人のサポートする立場にいたということから、現場レベルでの知識と経験もあります。

資材メーカーというのは具体的にはどういったものを扱っていたのですか?

農薬です。農業資材は、種子、農薬、機械、肥料、ビニールハウスなどになるのですが、その中でグローバルに展開しているのは農薬、機械、肥料です。中国で働きたいという気持ちが強かったので、その中で、一番中国にコミットしているメーカーを選びました。

なぜ、中国だったんですか?

実家を継ぐつもりはなかったんですが、福岡は地政学的にもアジアの窓口になるというのはわかっていました。黄砂やPM2.5の影響もあるくらい近いですし、福岡空港のキャパシティの問題はあるものの、それでも考えないといけないなと。

それと、英語人材は世界中にいるけれど、中国語人材はそこまで多くない印象でした。また、中国は農業的には大きなマーケットなんですよね。北はロシア、南はベトナム、西はスタン系、東は朝鮮系と広く、あらゆる作物があります。そのため、中国のマーケットを経験すれば最強になれるかなという魅力がありました。

起業は人生のプラン通りなんですか?いつかは起業しようと考えていたんですか?

20代の頃、35歳ないし40歳までには食農でなにか自分のやりたいことを見つけたいと考えていました。当時はまだ何をしたいかのイメージが付いていなかったのですが、伸び悩んだ時期に外に出てみようと思い、異業種の方と触れ合っていく中で、コンサルはレイヤーの高い方たちと仕事ができるなと思い、それで一旦転職してみたという感じですね。

プラン通りではあったのですが、31歳で起業する流れになったので、ぐっと前倒しになった感じです。ただ、今考えるとちょっと遅かったかなとも思いますね。

先日お伺いした際も、収穫量の予測についてなどを含めて、かなり専門知識がないと成り立たないお仕事をされていると感じたのですが、どんなお仕事が多いんですか?

僕らのコンサルティングはターゲットが3つあります。1つ目は農家や農業生産者であり、2つ目は国や行政、そして、3つ目は一般企業です。一般企業は、農業系の企業もあれば、異業種からの農業への参入なども含んでいます。

クライアントは日本の中でも上位1%ぐらいの規模、だいたい売上高で3億円以上の農業生産法人などが多いです。

このくらいの規模になると良いものは当たり前に作れて、次は、どこにどう売るかが課題になります。市場に出すのではなく、ミドル層や高級スーパーに直接売るという選択肢が出てきます。一定量の供給ができるからこその選択肢です。

直接取引ができるということですね。

販路開拓を一緒にやるということが多く、そこから派生して輸出なども支援しています。

福岡は、船便もエア便もあるので、東南アジアくらいまでならすぐに持って行けます。ある程度大きくなった法人は、生産というよりはこういったバリューチェーンの中で、もうちょっと後ろ側というか、川下の販売プランやブランディングの話が多いです。

とはいえ、生産の話は必ず出るので、知っておかなければならない知識ではあります。

その他には、大きい農家さんだと資本政策の話になってきたりもします。単純な融資だけではなくて、総合商社とジョイントベンチャーを組むとか、一般企業もカーボンニュートラルの関係で農業に進出したい場合があるので、そういった方たちを繋いでいくということもあったりします。

農業系の法人にとっては、優秀な人材が十分でなく、行き詰まり感があるという場合もあるので、一般企業と一緒になにかやりましょう、ということはあります。こういった連携や提携は僕らの役割かもしれません。僕も東京と福岡を行き来しますので、企業をつなぐことはよくあり、東京の企業を地域につれてきて、こんなに魅力があるので一緒にやりませんか?という話をしたりしますね。

3億円くらいの規模の農家さんというのは、作物にもよると思いますが、どれくらいの人員規模なんですか?

作物によって本当にバラバラですね。

例えば、お米とかは機械化されているので、トラクターとコンバインがあれば一人あたりのカバー面積ってめちゃくちゃ広いですし、売上も大きいです。

一方で、イチゴで3億円だと相当人手が必要です。特に収穫には

ちなみに、農業で一番人手がいるのは収穫作業です。収穫した後に選果して、箱に詰めて、というのがいちばん人が必要となります。もちろん、植えるときも人は必要ですが、基本的には収穫と選別、包装の方が人手が必要となります。

なので、観光農園というのはものすごく理にかなっているんですよね。

僕の実家は今は収穫はしていないんです。なぜならば、お客さんが収穫をする、という設計なので。だから、同じ面積のイチゴ農家で自分で収穫して売る農家さんと僕らみたいな観光農園をやるのかというと、必要な人数が全然違います。

僕の実家では、4,000㎡を2人くらいで管理しています。同じものを作っていても収益構造が大きく違ったりもします。

農業界の未来

ご存知の通り、農家って、すごく減ってきているんですよ。

高齢化で辞める人もいれば、経営が成り立たないからもう辞めるという人もいます。経営が成り立たない要因の1つは、売価を上げられないのにコストが上がっているということなんです。そのため、この2つをコントロールできる農家しか生き残りづらくなっていると感じています。

エネルギーコストが上がっています。これはみなさんもイメージしやすいところですね。重油を使ったりもしますし。そして、輸入資材も多いので、必要なコストが上がっています。

もちろん、肥料や農薬を使わずに有機農業をという観点もあるのですが、そうするとそれ以外に必要なものが出たり、収量が減ったりということもあり、技術的な難しさもあります。

売価については、流通の構造とこれまでの日本の中の分業の問題で、市場に流すと需給バランスでキロあたりの金額が決まってしまいます。自分たちではコントロールできません。

観光農園なら、パフェの価格を上げる、などやりようはあり、要するに価格決定権があります。

また、先ほどの3億円以上の農家も一定のロットを持って直接スーパーとやり取りができるので、交渉のテーブルにつけます。売価の決定権を持つにはどうするかという、極めてシンプルなことなのですが、歴史的な流れもあり、課題となっています。

逆に、そういった経済的なパワーを持てる構造に組み替えられれば、違う局面が出てくるという話ですよね。

そのとおりです。2030年から2035年くらいまでには、農家の環境が相当変わると感じています。

僕が起業した2019年からの5年間でも相当変わりました。農業従事者数も変わりましたし、天候の変化も。

普通に暮らしていて暑いのに、農作物はハウスの中で耐えられないです。今まで久留米で作れていたものがもう久留米では作れないということもあります。環境問題の変化については農家は加害者だと言われることも結構ありますが、その被害を被っているのも農家だったりもします。

農業は変数がかなりたくさんありますよね。気候もそうですし。僕がお伺いしたときも台風の前でしたが、台風の予報について天気予報と違う見解を中村さんたちはしていて、そっちが合っていたということもありました。こういった変数を農家さんたちはどうやってコントロールしているものなんですか?

コントロールできないものとして動く、という考えですね。

もちろん、コントロールできる部分はするのですが、やはり自然との戦いなのでコントロールできない部分が多いんです。僕はいつも思うんですが、農家さんたちって、レジリエンスの塊なんですよね。何が合っても折れない、めげない。自然と対峙しているので、サラリーマンや起業家にはない難しさがあるんですよ。

無理だという一定のあきらめと、ここは自分たちがコントロールする部分がというのがあり、コントロールできる範囲を広げていける農家が生き残れると感じています。

先ほどの売価の話も。これまで任せちゃっていたり、自分たちではできなかったところをできるようにしていくのが農業界ではあります。でも根底にあるのは自然と調和し、自然の中の一部を借りてやっているので、コントロールが効かない部分は仕方ないというくらいのスタンスだと思います。

ただ、最近は想定外みたいなことがやっぱり増えているんです。台風とかも急に曲がってくるとかですね。海水温の上昇で風が変わっているということもあります。

ふわっとしたことを聞いてしまいますが、農業の未来はどうなっていくんですか?こう変わっていく、というような方向性みたいなものはあるのでしょうか?

まず、近い未来、農業に従事する方は減ります。

個人事業主も1社とカウントすると今はだいたい80万社くらいです。僕が起業した時は110万社くらいいたんです。減っていく率がすごいじゃないですか。コロナの影響もありましたし、海外情勢や台風などいろんな要因がありましたが。

僕らの予測だと、2030年には50万社くらい、もしかしたらもっと下がるという可能性があると思っています。

これは悲観的な見方に聞こえるかもしれませんが、統廃合のような動きも出てくると考えています。例えば、周りに10軒あった農家がみんなやめて、Aさんという農家に集約して、大きくなっていく、ということも考えられるわけです。

ミドルだと生き残り難しくなり、ある程度大きくなってきた人たちがメガになっていく、というようにどんどん大きくなっていくということは進んでいくと感じています。ある一定の農地があり、集約できたほうが生産性は高くなります。機械も大型を導入できるということもあります。

ある意味淘汰されていくのですが、必ずしもマイナスではないと思っています。

ただ、地域全体をAさんが受け切れるキャパがあるわけではないので、会社自身も成長して人を雇わないと結局は受け切れなくなります。

そのため、一番の課題は人材だと考えています。今まで、農業人材とは現場で生産できる、いわゆるオペレーションができる人でした。もちろんその人も必要ではあるのですが、大きくなっていくうえで、例えば営業部門や管理部門などが必要になります。

そういった人材は農業界からの叩き上げで輩出されることはかなり難しく、異業種からの参入が必要になると思います。

これまでは農家のせがれが農家をやっていくという血縁での後継でしたが、それが難しくなってくるので第三者の企業に渡す、吸収されるみたいな統廃合が2030年ないし35年までにかなり進むだろうと。

農家が減るから、農地が全部なくなってそもそも日本の生産がもっとできなくなって食料受給率が下がって、安保的に大丈夫か、みたいな話までいかなくて、一定の人たちがちゃんと担っていくということが予想されています。

これは中山間地域なのかそれとも平地なのかなど、立地によっても結構違いはあります。いろいろ違いはあるものの、農家は減っていくのは間違いない、ただ、悲観的に考える必要もない、ということですね。

農家が減っても耕作面積が減らなければ、逆に収量は増える可能性があるということですね。

生産性が上がったり、トップレベルの農家が作るのでよりよい作物ができたりという可能性はあるでしょうね。個人農家でやっていく、という現状から、企業体でやっていく、あるいはもっと大きいホールディングスでやっていく、というような世界観もあったりすると思います。

海外視察について

海外視察にも結構行かれていると思うのですが、どういったインプットに行かれているのですか?

今年はイタリアと東南アジアに行っています。先々週はタイとシンガポールに。

イタリアに行った目的は、イタリアと日本はすごく似ていて、北から南まで、美しい山とか水とか、いろいろな資源があります。美味しい食というものをベースとしてツーリズム化しています。

また、家族経営が多いという特徴もあります。日本が目指すべき方向性は、イタリアにヒントがあるのじゃないかと感じています。家族経営といえど、例えば、宿泊も農場も地域という単位の中にあって、というような、個人戦ではなく地域というゆるい形の団体戦で、アグリツーリズムを展開しています。

ピザやパスタなど、地域に訪問を促し、食べさせるという体験型の頂点はイタリアだと考えています。

日本との違いは、認証制度です。日本は認証制度が弱くて、産地偽装問題などもあります。熊本のアサリとか、宮崎で生まれた松阪牛、みたいな問題はよく聞きますよね。こういうのってイタリアとかスペインとかフランスだと絶対ダメなんです。

日本は産地間競争をしすぎて、偽装が増えてしまっています。こういう問題の本質は何かというヒントをイタリアに見に行ったりもしています。

一方で東南アジアは、日本のものが輸出されている先なんです。現地のスーパー、イオンやドン・キホーテなどが頑張っていたりします。その状況がどうかな、というのを見たり、あとは飲食系です。ミシュランを含めたファインダイニングという、ある一定の金額を払える人がいるマーケットの盛り上がりがあります。そういったものを見に行きました。

これまでの農業の歴史を辿っていくと、最初は今の日本みたいに農産物が輸出されます。果物や野菜が輸出され、その次は「技術」の輸出なんです。

日本はR&Dの国です。農業に関しても同じで、美味しいフルーツとかを作れるじゃないですか。これは今でもプロダクトとして輸出されています。もちろん種苗法の問題など、いろいろな課題はありますが、例えば、メイドインジャパンのイチゴが売れるのではなく、例えばシンガポールやタイで作ったメイドバイジャパニーズみたいな、現地に沿った品種と日本の品種の掛け合わせなどが生まれ、その技術を売っていくというようなことが必要なのではないかと思っています。

ただ、島国の特性なのか、日本はライセンシーとかIPの考え方が弱いんですよね。

シャインマスカットが盗まれたという話も、盗まれたとされるシャインマスカットでも中国とか韓国のものの方が売れるようになってしまっています。これって、海外で戦うことを前提に、商標も特許もIPも準備しておけばいいのに、それをプロダクトだけ持っていくのが問題なんです。

イチゴなんて、摘んだらすぐに痛み始めますから現地についたら4割はダメになっていたりしますし、それを価格に転嫁しないといけないので、一部の人しか食べられない。このあたりを変えていかないといけないと思います。

ドールのバナナとか、ゼスプリのキウイってあるじゃないですか。ドールのバナナと呼ぶバナナの産地は色んなところにありますし、ゼスプリも一緒です。

日本の場合は福岡のあまおうと栃木のとちおとめが一緒にシンガポールに行って現地で争って戦っているんですよ。じゃあ日本のイチゴって何、と言われたらそれが無いんですよね。 この違いですね。

なるほど。プロダクトを売るというのと技術を売るというのと、段階があるということですね。

世界で戦うための付加価値って何なんだろうというのは考えないといけないですね。それがなかなか見いだせていないですね。

FOODBOXの目指す未来

フードプランニング事業とこれからやられる新規事業について、FOODBOXとして今後こうやっていく、みたいな話を最後にお聞きしたいのですが、いかがでしょうか。

今回視聴していただいている方も含め、農業や食に興味をもっていただいている方と生産者であったり、地域というのをつないで掛け合わせることで、新たなことが農業界で生まれていくというのは、いろんな立場で活動している僕らだからこそできることなんじゃないかなと思っています。

それは国内に限らずで考えています。農業界にいると固定観念で凝り固まってくる部分もありますので、違う業種の方にもたくさん興味を持っていただきたいです。農家さんって、近くにあっても遠い存在だと思うんです。そういうところをカジュアルに繋いでいきたいですし、そういうことが生まれていくのが今のFOODBOXの事業だと考えています。

新規事業で言えば、農業界には中間管理職レベルの方が農業界にはなかなかいないんです。異業種で活躍した人がUターン、Iターンで戻って来る、あるいは、外国人の人材が入ってくるなど、いろんなパターンが考えられます。海外人材の場合は、彼らが帰るときに進出のチャンスが訪れるということもあるでしょう。

これまでと違うスキルセットやマインドの方が必要ということはあるでしょうから、これはFOODBOXとしても取り組みたいと考えています。これまでの人材の派遣のようなものではなく何かを考えたほうがいいかなと思っています。

やらなきゃならないことは山程あり、農業界で本質的な課題はあるのですが、農業界はn数が少ないのでそこに対してプロダクトを作るというところにお金を調達して、作っていったとしても、絶対にペイできないんですよね。1つの事業で100億にはならないと思っているので、数億から10数億みたいな単位の事業を作っていく中で、その掛け合わせがFOODBOXになっていく、というような世界観ですかね。

なので、地に足をつけてやっていく必要がありますし、そのときに必要なサービスを作っていく、という感じかなと思っています。

ありがとうございました。

〜第40回目の「いろいろTV」を終えた青木の振り返り〜

いつも視聴いただき、ありがとうございます!

40回目の『いろいろTV』のテーマは「農業」。
聞きたいなと思っていたことの半分も聞けなかったというのが本音です(笑)。

今日聞いた話の中で、なるほどなと思ったことの1つが、「農家さんはレジリエンスの塊」。
自然と対峙していることからくる、「無理だという一定のあきらめ」「コントロールする対象の線引き」「コントロールできる範囲を広げていける努力」。
この部分はマインドと思考として、活かしたいと感じました。

最初に風貌が似ているという話から始めてもらい、僕も今まで以上に中村さんに親近感がわいてしまいました(笑)。

次回は、FOODBOXが考えるプロダクトの話などをお聞きできれば!